カタカムナ中心図象
カタカムナの中心図象は、以下の3種類ある。
・ミクマリ図象
・ヤタノカガミ図象
・フトマニ図象
ミクマリを読み解く
この図象は、天地人の氣(いき)、胞衣の内に在るの形なれば、有るかとすれば見えず、無かとすれば有り、その見えざるを見するの図なり。ゆえにこの図を表裏より映して見るべし、かなは本一つにして、火水は開きたることを知る、出入息、本一つにして別るることを知る。
二柱の神、左右に誘い双びて表裏に現るることを知るなり。この図中に、◯ミツラの三言は形を隠して見えず。それは別に口伝えに言うべし。秘して書かざるにあらず。幽玄微妙にして書尽くしがたきをもてなり。
カタカムナの中心図象、【ミクマリ】【ヤタノカガミ】【フトマニ】を読み解くにあたって大切なことはこの三つの図象がどういう基本概念の基に構成されているかということを感得しなければならない。
中心図象はカタカムナを読み解いていくうえでの根幹的な原理だということで、ここで参考にしたのは弘法大使の制作したと云い伝えられ、古昔から手習始のこととして誠に貴い御書(みふみ)である「いろは仮名」からヒントを得た。
い ー と父のヽ(火)が起こり。
ろ ー と母の氣(イキ)が凝り塊り
は ー の氣(イキ)が起こって放(はな)れんとし。
に ー の氣が起こって両(ふたつ)をなし。
ほ ー 次に父の氣がホの氣をなし。
へ ー と膨れて、母に対し。
と ー と与み舫(もや)う。
ち ー の氣が起こって血の靈(たま)定まり。
り ー の氣が起こって濁り。
ぬ ー の氣が起こって緯(ぬき)をなし。
る ー の氣が起こって又濁り。
を ー の氣が起こって縦に延び。
わ ー 次にワの氣が起こって輪をなし。
か ー の氣が起こって氣搦み(いきからみ)。
また、ワカ(リ、ル)父母の一滴のヽ(イキ)、母の胎内に動き回り、孕(はら)んで二ヶ月に当たる形を為すの一段であります。『日本書紀』の「渾沌(まろかれ)たること鶏子(とりこ)の如く・・・」に相当するのであります。
よ ー の氣が起こって与み。
た ー の氣が起こって玉の如くなり。
れ ー の氣が起こって濁り。
そ ー の氣が起こって水火(しほ)となり水火(イキ)となり。
つ ー の氣が起こって水火(イキ)が続き、連り。
ね ー の氣が起こって息の根をなし。
な ー の氣が起こって水火凝りて根定まる。
かくして容(かたち)の基をなすのであります。孕(はら)んで三ヶ月目にあたり、人体をなすの一段であります。『日本書紀』の「溟涬(くぐも)りて牙(きざし)を含めり・・・」の段に相当するのであります。
う、ヰ ー の氣が起こって、井の靈(たま)の水火(イキ)はウに転じて浮き昇りて天を為す。
ら、む ー の氣が起こって、ラの濁水はムと渦巻き。
く ー の氣が起こって、火の濁りは土となって降り。
の、お ー の氣が起こって、、ノの清水はオと起こって水火(イキ)の清濁が分かれる。
以上によって「天」と「地」が自ら判明して来るのであります。『日本書紀』の「其の清み陽(あきらか)なる者は、たなびきて天と為り、重く濁れる者は、つづきて地と為るに及びて・・・」の段に相当するのであります。
次にー
ウ井と澄昇った水は出息となり、この二つをつかさどる。
や ー の氣が起こって、文(あや)に。
ま ー の氣が起こって向かって文与(あやくみ)。
け ー の氣が起こって、差別(けじめ)を為し。
ふ ー の氣が起こって息吹き。
こ ー の氣が起こって凝り凝り満ちて。
え ー の氣が起こって胞衣を吹き切り。
テ ー の氣が起こって全くこれを発(ひらく)。
但し、この時、身体は全くかたまったのではなく、生まれて後にかたまるのであります。『日本書紀』の「精(くは)しく妙(たへ)なるが合へるはあふぎ易く、重く濁れるが凝りたるはかたまり難し・・・」の段に相当するのであります。
あ ー の氣が起こって天地未生の空水をつかさどり。
さき ー の氣が起こって胞衣を割別け。
ゆ ー の氣が起こって水火(イキ)を和し。
め ー の氣が起こって、上をつかさどる水は回りて下に位し、下をつかさど火は回りて上に位す。
天はもと「水」であるが、回って徳を火に現します。地はもと「火」であるが、徳を水に表します。故に人は頭を下になし、足を上にして、転身(こかえり)して生まれて来るのであります。
次に ー
み ー の氣が起こって、水は月と現れて右の眼をつかさどり。
ひ ー の氣が起こって、火は日と現れて左の眼をつかさどり。
し ー の氣起こり。
も ー の氣起こり。
ヱ ー の氣起こる。即ちシ、モ、ヱ(始、舫、回)の義であって、月も日もはじめて舫い回り、此処に明暗を為す。
せ ー の氣が起こって、瀬となり。
ス ー の氣が起こって、洲となり。
ここに、天地全く定まるのであります。故に人は母胎を放たれて五体全くかたまるのであります。スの言を濁ると云うのは、セス(瀬洲)の二言が累(かさな)る為に、下濁言をなしてズと云うのであります。
斯くの如く頭を先にして生るをもって、天先(あめま)づ成りて、地後に定る ー 『日本書紀』と云うのであります。以上の四十七言は、母胎に動きて胞衣を出るの御伝(みつたえ)であります。すべて皇国の学はその本を正す。故に手始めに、先ずそのことを教えるのであります。
この『いろは』文は人の生るる事を解き、自然と終に響くと云う、天下の妙文でありまして、弘法大使は遠く凡人を離るるの人であります。
この『いろは』にはこのような意義がある。私はこの『いろは』を見たときにカタカムナそのものの根本原理と重なったのだ。
前置きが長くなってしまったが、ミクマリを読み解いていく。ミクマリとは読んで自の如く水分となる。言靈においては
ミ・・・火中の水の靈 潤水也、正中を宰る也、月の靈也、貴也、虫也、五穀也、渦巻也、暗生
ク・・・影の火の靈也。 氣(いき)の降(くだ)る也、与也、土也、黒也、香也、濁也
マ・・・火中の水の靈也。 潤水也、向也、眼也、回也、間也、曲也、大也、広也、円也、甚也、狗也、多也、女也、男也
リ・・・濁水の靈也。 息息(いい)の両也、人也、割別(さきわく)る也、涎也、唾也
水の濁る圓(まどか)なる涎
言靈によって真理を卜(うらな)い、その実態が何を示しているのかを読み解いていく作業になる。したがってその根本が何を伝えたいかの意思想念が繋がっていなければ方向性が全く的外れになってしまう。
カタカムナの根本思想は生命の発生原理、母胎の胞衣の内での進化の過程、そして生命誕生の原理を解いているものだと読み解いた。
これは弘法大使の『いろは』から理解したことだ。このミクマリの図象は母の胞衣の内で生命の進化の過程を解いているカタカムナウタヒの中心に設置されている。
結論
ミクマリとは、カタカムナウタヒの中心図象として生命機能原理についてのウタヒの中心に置かれているものだと考えられる。ミクマリは水分で二柱の神を象徴している(イザナギ、イザナミ 二神)が左右に誘い双び結びて表裏に現るることと知り得る。
ミクマリの図象は母の胞衣の内で生命機能の原理を説いているカタカムナウタヒの中心に設置されている。