カタカムナとは

カタカムナ発見の経緯

カタカムナとは兵庫県六甲山系の標高338mの山、金鳥山で楢崎皐月が平十字との出会いで世に出されたものだといわれている。「カタカムナ図象文字」と呼ばれ。基本的な構造は丸と十字(○と+)の組み合わせで、丸のふちには最大で八つの小円が並ぶ文字として実にシンプルで合理的な構造だという印象を受ける。「カタカムナウタヒ」は八十首あり、すべて渦巻き状に記されている中央から外側に向かって黄金率の広がりに連動して構成されている。

『カタカムナ』という意味は、カタ(陰 見えるモノ=肉体・物質)とカム(陽 見えないもの=エネルギー)は ナ(その中心で統合している。という意味になるというのが現在での一般的なカタカムナの理解となっているが、言靈によりさらに。『カタカムナ』という実態がより鮮明に見えてきた。

ここでは、私の持論を展開させていただきたい。まず『カタカムナ』とは約12000年以上前から伝わっていた図象文字だということを否定したい。

図象の制作法則

その理由として、神話の発祥の地である九州を中心に数多くの磐座を見てきたがカタカムナ図象が掘られている磐座を確認したことがない。そして古代の象形文字はシュメール文字や阿比留草文字のように流動的なラインでの文字が使われている。カタカムナ図象は(○と+)の組み合わせで実に整った法則に基づいて制作されていることがわかる。そしてカタカムナ図象は本サイトの言靈での読み解きの根幹としている水穂伝の中にある布斗麻邇ノ御靈の大八嶋の法則にあてはまる制作技法に則っていることがわかる。つまり、大八嶋の法則による文字の制作は12000年以上前のものとは考えることが難しいのでカタカムナの図象はのちに何者かがウタヒとして口伝されていたカタカムナに図象を加えて残したものだと仮説を立てている。

この大八嶋の法則から弘法大使空海がカタカナを生み出したと出口王仁三郎は残している。したがってカタカムナの図象もカタカナとひらがなを制作していた文字の法則から生み出されたものだということになる。

結論としては、『カタカムナ』とは文字なき時の御伝えを『ウタヒ』として口伝されていたものを弘法大使空海がカタカムナ図象として開発し書として残したものではないだろうか。

ただ、カタカムナの『ウタヒ』は未だ文字のなかった神世の時代より御伝えされた正真正銘の神の経綸だということは確信している。現在では神とは人間の先祖を偶像的に崇拝している傾向だが本来の神とはそれとは別格の存在だったということになる。

神とは其の実態があり、そして神は実在していてその経綸を『カタカムナ』という『ウタヒ』として世界に伝播させていったのだ。本サイトではこの神の経綸『カタカムナ』を布斗麻邇ノ御靈をもって神代の旧辞を解き明かしていくことを目的として立ち上げた。

真の言靈とは言葉が生まれる前から存在し、其の法則を理解しなければ僻言となる。

出口王仁三郎曰く、

書籍なき時の学びなれば、さらに文字には拠るなし。書籍なき時の学びなれば、さらに参考とすべき書物なし。ただ布斗麻邇ノ御靈に卜相(うらな)いて、五十連十行(いつらとしま)の形假名(かたかな)をもって解分かるなり。