地球の呼吸、それは人の呼吸と同じように地球も、宇宙も呼吸をしている。
地球の呼吸は幾千年周期で、循環している。
その地球の呼吸により、地上に現れる魂の性質が異なっている。
それは、人の吐く息と、吸う息の違いと同じように。
そして、地球の吐き出される息というのは、現在の物質文明にあたる。
カタカムナの中で、旧人類と新人類が交差し文明が入れ替わる経緯も描写されていたが、旧人類はこの天地自然の息の循環を学んでいたので、その循環に沿ってこの地上から離れ星となって隠れ身となった。
新人類はその後、地上で文明を大きく発展させていくが、地球の吐く息から生み出された新人類はどうしても淀みを含んでしまうのが性質で有る。
混沌とした嘘、自我、殺害、など繰り返され森羅万象の理に睦まずに幾度も同じ過ちを繰り返してゆく。そしてその魂は躰から離れた時に地に沈み業火に焼かれ再び地上に循環している。
旧人類の澄んだ魂は、天をめぐり星になり、再び地球の呼吸が吸う周期に切り替わった時に。現在の人類に変わりこの地上に新たな文明を芽吹かせてゆくことになる。
これも、森羅万象の循環の流れである。
そして、新たに地球の息が切り替わるときに、火、水中に與みて、水は渦巻きその真ん中の穴から新たな地上が生まれ出ることになる。
新たな地上とは、ムー大陸であろう。深い海底と現在の陸地が入れ替わる時、再び地上にムーたいりくが出現し、天をめぐる魂によって新たな地上が創造されてゆく。
人は宇宙の小天地であり。地球もその中で同じように呼吸をし、循環している。
火水(カミ)とは循環であり、万物を生み出す母であり、火とは水を働かせるものである。
人間の領域をはるかに超越した世界も森羅万象の理の基成り立っている。
それはサイズの大か小かの話である。
人類は、真実を知ろうとし、真実を隠すものを非難し、真実をあばこうと躍起になっているが、カタカムナの心理からいうと、真実を知ることよりも、理を学び実行することの方が心理である。
そのことに気づかずに、地をめぐる周期のなかで真実を追いかけているのは本末転倒ということになる。
理を学び実行することが、正中をつかさどるというこだ。
火と水の眼をもち、正中をつかさどる灵こそ、天をめぐる灵となり、新たな世界を開く灵となる。
新たな世界に移る者は、その時に山に向かう者と山を背にする者とで道が分かれることになる。
盲説を吐き散らすことではなく、森羅万象の理を学ぶことこそ今、天から求められていることなのではないだろうか。