大日經開題 七種の第3公開単位「第三 大日經略開題(今釋此經)」を空海著作原典・現代語訳・TENMON解読に分けて読むページです。
1. 中立的な定義
大日經開題 七種の第3公開単位「第三 大日經略開題(今釋此經)」を空海著作原典・現代語訳・TENMON解読に分けて読むページです。
2. 書誌・著者・底本・対象範囲
T58 No.2211, p.1a04–p.12a19/対象:第三 今釋此經|T58, p.4c16–p.6a09
3. 原典
第三 大日經略開題(今釋此經)
〔T58, p.4c16–p.6a09〕
今釋此經略用三門。謂第一述大意。第二釋題目。第三入文判釋。第一述經大意者。夫以團團性月映十界而不虧不盈。蔚蔚智蓮載四生以常開常鮮爰如幻醉客眠昏於無明暗室憂長夜叵曉。如夢貧商跉迴于妄想寒里傷暖春遲來。加復二十九邪計磐石磥砢人皆不知家内伏藏。百六十妄執毒醴染醉擧世忘棄衣裏寶珠。侘傺尋五百由旬之寶處。喟然赴三大僧祇
之幽都。其間因生滅漂流之徒恒河沙算非可能知。此中滯空有俳徊之比大千塵點焉敢數之。因茲如知法王乘於大悲輿出自法界宮。打五藏法鼓令驚覺五智之在己。懸三密明鏡使徹視三點之非他。故能六種無畏作身城之矛盾。十緣妙句成心臺之明珠。發意之間達寶所神通之乘非此經亦誰耶。甞舌端作常命醍醐之味除此教更何求乎。奇中極奇妙中最妙者。蓋斯金剛一乘最極秘密教歟第二釋題目者。今言大毘盧遮那成佛神變加持經者。大者謂無邊際義也。毘盧遮那者梵音也。是日之別名。即除暗遍明之義也。然世間日則有方分。若照其外不能及内。明在一邊不至一邊。又唯在晝光不燭夜。如來智惠日光則不如是。遍於一切處一切時作大照明矣。復次日行閻浮提。一切卉木叢林隨其性分各得増長。世間衆務因之得成。如來日光遍照法界亦能平等開發無量衆生種種善根。乃至世間出世間殊勝事業莫不由之而得成辨。以如是等種種因緣。世間之日不可爲喩。但取少分相似故。加以大名曰摩訶毘盧遮那也。成佛者具足梵音應云成三菩提。是正覺正知義。謂以如實智知去來今衆生數非衆生數有常無常等一切諸法。皆了了覺知故名爲覺。而佛則是覺者。故就省文但云成佛也。神變加持者舊或云神力所持。或云佛所護念。然此自證三菩提出過一切心地。若離如來威神之力。則雖十地菩薩尚非其境界。況餘生死中人。爾時世尊往昔大悲願故而作是念。若我但住如是境界即諸有情不能以是蒙益。是故住於自在神力加持三昧。普爲一切衆生示種種諸趣所喜見身。説種種性欲所宜聞法。隨種種心行開觀照門。譬如幻師以呪術力加持藥草。能現種種未曾有事。五情所對悦可衆心。若捨加持然後隱沒如來金剛之幻亦復如是 緣謝則滅機興則生。即事而眞無有終盡。故曰神力加持經也。入眞言門信心品者。梵本具有二題。初云修眞言行品。次云入眞言門住心品。入住之義以兼修行故離煩文但著其一。今此品統論經之大意。所謂衆生自心則是一切智智。如實了知名爲一切智者。是故此教諸菩薩眞語爲門。自心發菩提即心具萬行。見心正等覺證心大涅槃。發起心方便嚴淨心佛國。從因至果皆以無所住而住其心故曰入眞言門住心品也。三十一品之中此品居初。故云第一第三入文判釋者。經云如是我聞一時薄伽梵住如來加持法界宮 云云 乃至信受奉行。凡有三十一品。三藏云。此經大本有十萬偈。以浩廣難持故。傳法聖者採其宗要凡三千餘頌。唯眞言行法文義略周。以非大經正本故不題通序。今以例加之於義無傷也云云 若據此語准餘經作三段者。自初如是我聞至于牙種生起二十五行十二字之經是初序説分也。自爾時執金剛祕密主於彼衆會中坐。至世出世持誦品訖二十九品餘之經是第二正説分也。第三十一囑累品是第三流通分也。大門三段如是。若於品品述大意者。第二入曼荼羅具緣眞言品者。上品已約種種心相對辨一切智心竟。然此妙果以何方便而能得至耶。故此品明入曼荼羅行法。具衆縁支分及所要眞言皆於此中廣明。故上品之次此品來。第三息障品者。上品明入曼荼羅行法竟。今此品金剛手問佛畫曼荼羅及眞言等持誦時爲障者云何得息。云何眞言果等 云云 於此佛言。障雖無量以要言之但從心生。然此障何爲因者慳貪等爲因。若除彼因諸障自息。此中能對治是則菩提心也。若念菩提心故能除諸障因。如是種種宣説。故次上品此品來。第四普通眞言藏品者。上品佛依問宣説除息障之法竟。今此品執金剛中金剛手爲上首。菩薩中普賢等爲上首。爲欲成就此法故各各稽首大日如來已樂欲陳説自心所通達清淨法界法門。所以然者於如是大曼荼羅王清淨法界之體。是一一菩薩各從一門而得自在。若有衆生從彼一門而進行者。不久即得同彼菩薩。此諸菩薩皆是大日如來内證徳故也。爾時佛加持彼執金剛及菩薩等。告説如所通達法界衆生界淨除眞言句。因茲普賢等諸大士等各説自證境界眞言句。故上品次此品來。第五世間成就品者。前息障品問佛云何眞言果。佛今騰前答之。故無問自説也。佛意言。若有衆生欲得成就如上大果者。先當依此品次第而修行之。言字字句句眞言之聲次第不斷。而入其身遍其體内。能令身心掃除垢濁。如火起時諸塵悉淨。以三事等故身口心皆住一見。衆縁具故則有成就之樂也。故云世間成就品也
4. 検索用正規化本文
原典表記を検索可能な文字列として保持する。意味を変える自動置換は行わない。
5. 訓読・語法・異体字
異体字・旧字体・歴史的仮名遣いを原典欄に保存し、校異が未確定の箇所は断定しない。
6. 現代語訳
第三 今釋此經|T58, p.4c16–p.6a09
大意・題目・本文判釈という三門から、理念を実践工程へ落とす略開題。
## 原典
開始:`今釋此經略用三門。`
終端:`故云世間成就品也`
## 真相現代語訳
本性の月は十界を映しても欠けず増えず、智慧の蓮は四生を載せて常に開く。それでも衆生は無明の暗室に眠り、衣の裏の宝珠を忘れ、遠い宝所を外に探す。そこで法王は五智が自分に具わることを法鼓で目覚めさせ、三密の明鏡によって、仏の働きが他者ではないことを示す。
解釈の第一門は、どこへ向かう教えかという大意。第二門は、経題の各語を定義する題目。第三門は、品の順序を実行工程として読む本文判釈である。第二品は曼荼羅へ入る条件と行法、第三品は障りの因を心に探して菩提心で対治する工程、第四品は諸菩薩が自証境界の真言を説く工程、第五品は声字句が身体に入り、身口意を清めて成就へ至る工程を示す。
## 言灵構造解読
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大意=目的地
↓
題目=一語ごとの契約
↓
品の次第=実装手順
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障りを外敵だけに求めず、心の因を照会し、菩提心を対治として起動する。真言は意味理解だけでなく、呼吸・発声・聴覚・身体感覚を通じて三業を一方向へ揃える。
## HOLD
梵本の構成・十万偈伝承・各品の成立史は本文内の主張として保持し、外部文献学的確定とは分ける。
7. 文献・教学上の文脈
空海著作の作品内構造と密教教学上の文脈を優先し、後代注釈やTENMON比較を空海本人の文へ混入させません。
8. TENMON言灵構造解読
第三 大日經略開題(今釋此經)
〔T58, p.4c16–p.6a09〕
真相現代語訳
この経を解釈するにあたり、三つの門を用いる。第一に経の大意を述べ、第二に題名を解釈し、第三に本文へ入り、構成を判ずる。
第一 経の大意
本性の月は円満で、十界を映しても欠けず増えない。智慧の蓮は四生を載せ、常に開き、常に鮮やかである。それなのに衆生は、幻の酒に酔った旅人のように、無明の暗室に眠り、長い夜が明けないことを嘆く。夢の中の貧しい商人のように、妄想の寒村をさまよい、暖かな春が来ないことを傷む。
さらに二十九種の邪見は磐石のように重なり、人々は家の中に伏蔵があることを知らない。百六十の妄執という毒酒に酔い、衣の裏の宝珠を忘れる。五百由旬の宝所を遠くに探し、三大阿僧祇劫の幽遠な道へ向かう。その間、生滅に漂流する者は恒河沙の数を超え、空・有のどちらかに滞ってさまよう者も大千世界の塵ほど多い。
そこで法王は大悲の車に乗って法界宮から出て、五蔵の法鼓を打ち、自分の中に五智があることを驚き覚まさせる。三密の明鏡を掲げ、三点が他者ではないことを徹見させる。六種無畏は身体の城を守る盾となり、十縁の妙句は心台の明珠となる。発心の瞬間に宝所へ達する神通の乗が、この経以外の何であろうか。舌端に常命の醍醐味を味わわせる教えが、この密教以外の何であろうか。奇の中の極奇、妙の中の最妙、金剛一乗の最極秘密教である。
第二 題名の解釈
「大毘盧遮那成佛神變加持經」という。「大」は無辺際を意味する。「毘盧遮那」は梵音で、太陽の別名、暗を除き遍く明らかにすることをいう。世間の太陽は外を照らしても内を照らせず、一方を照らせば他方へ届かず、昼を照らしても夜を照らせない。しかし如来の智慧日光は、すべての場所・すべての時に大光明を作る。太陽が草木をそれぞれの性分に応じて成長させ、世間の営みを成立させるように、如来の光は法界を遍照し、衆生のさまざまな善根を平等に開発する。世間・出世間の殊勝な事業は、これによって成立する。世間の太陽は完全な比喩ではないが、一部分が似るので「大」を加え、摩訶毘盧遮那という。
「成佛」は、詳しくは成三菩提、正覚・正知である。過去・未来・現在の衆生と非衆生、常・無常など一切法を如実智によって明瞭に覚知するので覚といい、その覚者を佛という。
「神變加持」は、旧訳で神力所持・佛所護念という。自証の正覚はあらゆる心地を超え、如来の威神力を離れれば十地菩薩でさえ知りがたい。そこで世尊は、もし自分だけがこの境界に住すれば衆生は利益を受けられないと大悲によって思い、自在神力加持三昧に住する。衆生が見たい姿を示し、聞くべき法を説き、心行に応じて観照の門を開く。幻術師が薬草に術を加え、未曾有の像を現すように、如来も縁が尽きれば姿を隠し、機が熟せば現れる。しかし事に即して真であり、尽きることがないので神力加持という。
「入眞言門住心品」には「修真言行品」と「入真言門住心品」の二題がある。入って住むことには修行の意味も含まれるので、繁を避けて一題を掲げる。この品は経の大意を総論する。衆生の自心こそ一切智智であり、これを如実に知る者を一切智者という。菩薩は真語を門とし、自心に菩提心を起こせば、その心に万行が具わる。心を見れば正等覚、心を証すれば大涅槃、方便を起こせば仏国土を荘厳する。因から果まで無所住にして心を住せしめるので「住心品」といい、三十一品の第一に位置する。
第三 本文の構成
経は「如是我聞。一時、薄伽梵、如来加持法界宮に住す」から「信受奉行」に至る三十一品である。伝承によれば大本は十万偈で、広大すぎて保持しがたいため、伝法の聖者が宗要を採って三千余頌とした。大本そのものではないため、梵本には一般的な通序がなかったが、他経に準じて加えても義を損なわない。
他経に準じて三分すれば、冒頭から「牙種生起」までが序説分、秘密主金剛手が会衆に坐すところから世出世持誦品までの二十九品が正説分、第三十一の囑累品が流通分である。
各品の大意を述べる。第二「入曼荼羅具縁真言品」は、第一品で一切智心を明かしたのち、その妙果へどう到達するかを示すため、曼荼羅へ入る行法、必要な縁と支分、真言を広く説く。
第三「息障品」は、曼荼羅行法の実行を妨げる障りをどう息め、真言の果をどう得るかに答える。障りは無量だが、要すれば心から生じ、その因は慳貪などである。その因を除けば障りは自ずから息む。その対治が菩提心であり、菩提心を念ずれば障りの因を除ける。
第四「普通真言蔵品」は、金剛手をはじめとする執金剛、普賢などの菩薩が、大日如来へ礼し、自ら通達した清浄法界の法門を説こうとする品である。大曼荼羅王・清浄法界の体において、各菩薩は一つの門から自在を得ている。衆生がその門から進めば、ほどなくその菩薩と同じ境地を得る。諸菩薩は大日如来の内証徳であり、仏の加持を受けて、それぞれの自証境界の真言句を説く。
第五「世間成就品」は、前品までの問い「真言の果とは何か」への具体的な答えである。大果を成就したい者は、この品の次第に従って修行する。字・句・真言の声を切れ目なく身に入れ、身体全体に遍満させれば、火が起こって塵を焼き清めるように、身心の垢濁が除かれる。三事が等しくなり、身・口・意が一見に住し、諸縁が具わるとき、成就の楽が生じる。
言灵構造解読
1. 三門の順序
大意
= どこへ向かう教えか
↓
題目
= その道を一語ずつ定義する
↓
本文判釈
= 実際の工程へ落とす
空海は理念だけで終わらず、題名を契約とし、品の順序を実装手順へ変えている。
2. 宝珠はすでに衣の裏にある
五百由旬の宝所を探す者が、衣裏の珠を忘れている。これは努力の否定ではない。努力の方向を、外部の獲得から内在の確認へ修正する比喩である。
3. 障りの原因は心にある
息障品の構造は、障害を外敵だけに求めない。
障害
↓
心の因を照会
↓
慳貪などを発見
↓
菩提心を対治として起動
↓
障りが息む
これは、原因を断定せず、発生源へ戻って処理する構文である。
4. 真言は身体へ入る
第五品で真言は、意味理解だけでなく、字字句句の声が身体へ入り遍満すると説かれる。言灵は観念ではなく、呼吸・発声・聴覚・身体感覚を通じて三業を一方向へ揃える実践である。
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9. 比較研究
言灵秘書・古事記・カタカムナとの照合はTENMON比較研究であり、空海がそれらを直接解読したという歴史主張ではありません。
10. 未確定事項・反証・HOLD
未検証の悉曇字形・サンスクリット語形・歴史的直接継承を断定しません。
11. 証拠・確度
空海著作原典=A0、天聞作成の訳・整理=A1、TENMON構造解読=E5、比較仮説=E6。
12. 出典・巻・頁・行
第三 今釋此經|T58, p.4c16–p.6a09