大日經開題 七種の第2公開単位「第二 大日經開題(衆生狂迷)」を空海著作原典・現代語訳・TENMON解読に分けて読むページです。
1. 中立的な定義
大日經開題 七種の第2公開単位「第二 大日經開題(衆生狂迷)」を空海著作原典・現代語訳・TENMON解読に分けて読むページです。
2. 書誌・著者・底本・対象範囲
T58 No.2211, p.1a04–p.12a19/対象:第二 衆生狂迷|T58, p.3a05–p.4c15
3. 原典
第二 大日經開題(衆生狂迷)
〔T58, p.3a05–p.4c15〕
夫衆生狂迷不知本宅。沈淪三趣跉跰四生。不知苦源無心還本。如來愍其如是示其歸路。牛羊等車逐紆曲而徐進。必經三大無數劫。神通寶輅凌大空而速飛。一生之間必到所詣。人天二宮雖不免燒燬。比之三途樂而不苦。故慈父且與人天乘濟彼極苦。二乘住處雖是小城。比彼生死已出火宅。故大覺假説羊鹿車暫息化城。菩薩權佛二宮。亦雖云未到究極金剛界宮。比前諸住處亦是大自在安樂無爲。故如來與大小二牛示其歸舍。如上二宮。但芟薙宅中之荒穢。猶未開地中之寶藏。空甞大海之醎味。孰獲龍宮之摩尼。從淺至深從近迄遠。雖云轉妙轉樂。由是蜃樓幻化之行宮。未入三祕密五相成身四種曼荼究竟眞實金剛心殿。知祕號者猶如驎角。迷自心者既似牛毛。是故大慈説無量乘令入一切智智。若竪論則乘乘差別淺深。横觀則智智平等一味。迷之者以藥夭命。達之者因藥得仙。至如祕密曼荼金剛心殿。是則最極究竟心王如來大毘盧遮那自性法身住處。心王大日孕三身而圓圓之又圓。心數曼荼超十地以本有之又本。恒沙眷屬鎭住自心之宮。無盡莊嚴常遊本初之殿。自非輪王之性金剛之種。誰能見三密之曼荼聞四印之神祕。達塵體之不二覺滴心之如一。所謂我大師薄伽梵摩訶毘盧遮那薩他怛掲多其人也。法界淨身乘月輪以臨。兩部衆聖並蓮臺以翊。心王爲庭則廣博道場周於大地輪。心數爲境則雲海妙供滿於虚空界。字寫法然之文。義明無盡之旨。法電驚永蟄之佛性。甘露灑樹王之根葉。開覺眼於除蓋。朗心月於定觀。五大所造一心所遍。鱗角羽毛郷。飛沈走躍之縣。同破四生之愛網。共入一眞之覺殿
歸命大悲大日尊 八葉蓮臺諸如來
十三大院諸聖衆 教令輪者不動尊
兩部界會塵刹衆 外金剛部護法衆
大三法羯曼荼羅 周遍法界内證衆
不越本誓三昧耶 降臨證誠御願會
普禮眞言
我由無明妄三業 夢裏造作衆多惡
乘覺畢竟無所有 我心如空罪何住
善惡二法無自性 無染無淨平等如
我等奉對空王前 不懺而懺哀攝受
滅罪眞言
歸依佛法福田僧 波羅提木五篇聚
菩薩尸羅一實戒 堅持莫犯薫一切
三昧眞言
願我演説妙經王 一一聲字皆實相
實相周遍三世間 平等平等無偏黨
所生功徳無限量 願共國土五類天
窮盡十方衆生海 平等證入一如宮
菩提心眞言大毘盧遮那成佛神變加持經入眞言門住心品者。是則諸佛之大祕衆生之極妙。報應諸佛祕而不談。變化如去默而不答。補處大士不知其一人。聲聞縁覺敢不其境界。如來自證之智設以神力加持不可示人。奮迅示現無盡莊嚴藏者。皆外用之迹耳。見其條末則喩其宗本。如觀象迹超絶衆群其踴踐倍復深廣。雖不覩其形。當知此象身力必大。又如迅雷澍雨能令鳥獸震死。百川奔湧懷山襄陵。雖不測其本。當知此龍威勢必大。大日如來亦復如是。能一時普應法界衆生。妙合根宜曲成佛事。則知如來智力必於一念普鑒覽群機本末因縁究竟無礙。今此經者一切如來根本祕藏自性法身内證智境也。是以釋迦能仁坐樹下以照機。大日薄伽住祕宮而設藥。自受法樂以爲修行。勝義等持以爲淨業。宏含無量字門猶如大虚包萬有。廣統百千三昧擬巨海呑千湖。文林鬱鬱開八種總持之花。義淵漫漫汎千種瓔珞之珠。纔入此門。則三大僧祇越一念之阿字。無量福智具三密之金剛。六道四生皆是父母。蠕飛蝡動誰無佛性。庶使開無垢淨眼照三密之源。解有漏之纒縛遊五智之臺。若得内心國界安樂則得外器城郭皆泰然。淨心王國界安心數眷屬。此經大意蓋如是歟大毘盧遮那者。應梵音云。此翻云除暗遍明。是日天之別名也。然世間日則有方分。若照其外不能及内。明在一邊不至一邊。又唯在晝光不燭夜。如來智慧日光則不如是。遍一切處作大明照。無有内外方所晝夜之別。復行閻浮提一切卉木叢林隨其性分各得増長。又如重陰昏蔽日輪隱沒亦非壞滅。猛風吹雲日光顯照亦非始生。佛心之日亦復如是。雖爲無明煩惱戲論重雲之所覆障而無所滅。究竟諸法實相三昧圓明無際而無所増以如是等種種因縁。世間之日不可爲喩。魔訶者是梵語也。此有三義。一竪横無邊際故云大。二數量過刹塵故云多。三是最勝最上故云勝。具此三義故曰摩訶毘盧遮那。成佛者正覺正智不生不滅無始無終之義。此則法爾所成之成非因縁所生之成。文云。我覺本不生。出過語言道。諸過得解脱。遠離於因縁。知空等虚空。即是大成就之成。非少成就之成。佛者具云沒馱。是正覺正知之義。如實知過去未來現在諸衆生數非衆生數常無常等一切諸法明了覺知故稱佛。佛以忍辱之鎧精進之甲。乘持戒之馬以定弓惠箭。外摧魔王之軍。内滅煩惱之賊。故稱佛也。神變加持者。舊譯或云神力所持。或云佛所護念。謂離如來威神之力。十地菩薩非其境界。於一切時處起滅邊際倶不可得。縁謝則滅機興則生。無有始終。故曰神力加持。經者貫串不散之義。以語密爲經以心密爲緯。織三業之絲爲海會之錦。錦文千殊同名爲錦。佛相萬差等得稱佛。此經是一切如來之祕要之藏。於大乘教威徳特尊。猶如千目爲釋天主。若據梵本應具題云大廣博經因陀羅王。因陀羅者帝釋也。入眞言門住心品者。梵本具有二題。初云修眞言行品。次入眞言門住心品。謂入住之義。眞言者梵曰漫怛羅。即是眞語如語不妄不異之義。龍樹釋論謂之祕密號。舊譯云呪非正翻也。所謂衆生自心即是一切智智。如實了知名爲一切智智。是故此教諸菩薩眞語爲門。自心發菩提即心具萬行。見心正等覺證心大涅槃。發起心方便嚴淨心佛國。從因至果皆以無所住而住其心。故曰入眞言門住心品也。第者次第也。一者首也。此經有三十一品。是則此品居首故云第一。是經一部始終唯説一字義。其義無量略説少分耳。經如是我聞一時。薄伽梵即毘盧遮那本地法身。次如來者是佛加持身。其所住處名佛受用身。即以此身爲佛加持住處。如來心王諸佛所住而住其中。既從遍一切處加持力生。即與無相法身無二無別。而以自在神力令一切衆生見身密之色聞語密之聲悟意密之法。隨其根性種種不同。廣大金剛法界宮者。大謂無邊際故。廣謂不可數量故。金剛喩實相智。法界者廣大金剛智體也。如來實相智身。以加持故即是眞實功徳所莊嚴處。妙住之境心王所都故曰宮也。是古佛成菩提處。凡此經總可有三本。一法爾常恒本。諸法曼荼羅是也。二分流廣本。金剛手所誦傳十萬頌經是也。三略本。有三千餘頌經是。雖頌文三千經卷七軸。然猶以略攝廣以少攝多。一字中含無邊之義。一點内呑塵數之理。廣略雖殊理致是一。諸家釋經者皆三分判經。今眞言宗且約三部而釋經。初如是等序分當於身密。即爲佛部示身無盡藏故。次爾時世尊至囑累終是當語密。即爲蓮花部現語無盡藏故。信受等文是當意密即爲金剛部表意無盡藏故。序正似異祕妙即同。三密各殊一如平等
4. 検索用正規化本文
原典表記を検索可能な文字列として保持する。意味を変える自動置換は行わない。
5. 訓読・語法・異体字
異体字・旧字体・歴史的仮名遣いを原典欄に保存し、校異が未確定の箇所は断定しない。
6. 現代語訳
第二 衆生狂迷|T58, p.3a05–p.4c15
衆生が外に探す「帰る家」を、自心の法界宮として開示する稿。
## 原典
開始:`夫衆生狂迷不知本宅。`
終端:`三密各殊一如平等`
## 真相現代語訳
衆生は自分の本来の家を知らず、苦の源を知らないまま四生・六道をさまよう。如来は機根に応じ、人天乗、二乗、菩薩乗という帰路を示す。しかしそれらは家の荒れ地を整えた段階で、地中の宝蔵をまだ開ききってはいない。秘密曼荼羅・金剛心殿とは、究極の心王たる大毘盧遮那が住する自心の宮である。
法の稲妻は眠る仏性を驚き起こし、甘露は生命の根と葉を潤す。声と字は単なる記号ではなく、身・口・意と結ばれたとき実相の働きとして現れる。衆生の自心こそ一切智智であり、真語を門として菩提心を起こせば、心に万行が具わり、心を見て正覚、心を証して涅槃へ至る。
大日の智慧日光は、世間の太陽のように内外・昼夜に限られない。無明の雲に覆われても仏心の日は滅びず、雲が晴れて顕れても新しく生じたのではない。内なる心王の国が安らぐことで、外なる行為・制度・関係も整う。
## 言灵構造解読
“`plain text
本宅を外に探す
↓
自心の宝蔵を見失う
↓
真語・戒・三昧・菩提心で覆いを除く
↓
心王と心所を整える
↓
内国の安楽が外界の秩序へ展開する
“`
縦には修行段階の浅深があり、横にはすべてを貫く一如がある。段階差と本有平等を同時に保持することが、この稿の正中である。
## HOLD
祈願文・真言音写は提示本文を保持し、サンスクリット原形や発音を本資料だけで復元しない。
7. 文献・教学上の文脈
空海著作の作品内構造と密教教学上の文脈を優先し、後代注釈やTENMON比較を空海本人の文へ混入させません。
8. TENMON言灵構造解読
第二 大日經開題(衆生狂迷)
〔T58, p.3a05–p.4c15〕
真相現代語訳
衆生は狂い迷い、自分の本来の家を知らない。三悪趣に沈み、胎生・卵生・湿生・化生という四生をさまよい、苦しみの源を知らず、本へ帰ろうとする心も起こらない。如来はそれを憐れみ、帰る道を示す。
牛車や羊車のような教えは、曲がりくねった道をゆっくり進み、三大阿僧祇劫を経なければならない。これに対し、神通の宝車は大空を速く飛び、一生のうちに目的地へ至る。人界・天界は三悪趣より楽だが、なお焼け滅びることを免れない。だから慈父はまず人天乗を与え、極苦から救う。声聞・縁覚の二乗は小さな城にすぎないが、生死の火宅からは出ているので、仏は羊車・鹿車や化城を仮に説き、休息させる。菩薩や権仏の境地も究極の金剛界宮には届かないが、前の住処よりは大自在・安楽・無為である。そこで如来は大小の牛車を与え、帰るべき家を示す。
しかし、これらは家の荒れ地を刈り払っただけで、地中の宝蔵をまだ開いてはいない。大海の塩味を舐めただけで、龍宮の摩尼宝珠を得たわけではない。浅いところから深いところへ、近いところから遠いところへ進むにつれて妙楽は増すが、なお蜃気楼や幻の仮宮である。三秘密、五相成身、四種曼荼羅の究竟真実、すなわち金剛心殿にはまだ入っていない。
秘密の名を知る者は麒麟の角ほど稀で、自心に迷う者は牛の毛ほど多い。そこで大慈は無量の乗を説き、衆生を一切智智へ入らせる。縦に見れば諸乗には浅深の違いがあるが、横に見れば諸智は平等一味である。同じ薬でも、迷って用いれば命を損ない、達して用いれば仙薬となる。
秘密曼荼羅・金剛心殿は、究極の心王たる大毘盧遮那、自性法身の住処である。心王たる大日は三身を孕み、円満の上に円満である。心所の曼荼羅は十地を超え、本有のさらに本有である。無数の眷属は自心の宮に鎮まり、無尽の荘厳は本初の殿に遊ぶ。転輪王の器・金剛の種性がなければ、三密の曼荼羅と四印の秘密を知ることはできない。塵の本体が不二であり、一滴の心が一如であることを覚る者、それが大悲の大日如来である。
法界の清浄身は月輪に乗って現れ、両部の聖衆は蓮台を並べて補佐する。心王を庭とすれば道場は大地輪に及び、心所を境とすれば雲海の妙供は虚空界を満たす。文字は法爾の文を写し、意味は無尽の旨を明らかにする。法の稲妻は長く眠る仏性を驚き起こし、甘露は樹王の根と葉を潤す。覆いを除いて覚りの眼を開き、定観によって心月を明らかにする。五大によって造られたすべてを一心が遍く覆い、鱗・角・羽・毛を持つもの、飛ぶもの、沈むもの、走るもの、躍るものは、共に四生の愛網を破り、一真の覚殿へ入る。
ここで大日如来、八葉蓮台の諸如来、十三大院の聖衆、不動明王、両部曼荼羅の無数の尊、外金剛部の護法、四種曼荼羅・法界内証の聖衆に帰命し、本誓三昧耶を越えず、この願会へ降臨して証明するよう願う。
また、無明によって身口意の三業に多くの悪を造ったが、覚りに照らせば究竟には固定した実体がない。心は虚空のようで、罪はどこに住むのか。善悪も自性を持たず、染・浄も平等一如である。だから空王の前で、実体的な罪を握りしめないまま懺悔し、哀れみと摂受を請う。
仏・法・僧に帰依し、律の戒、菩薩戒、一実戒を堅く保つ。妙なる経王を説くとき、一つ一つの声と字が実相であり、その実相は三種世間に遍く、偏りなく平等であるよう願う。生じる功徳を、国土を守る諸天と十方の衆生海に回向し、等しく一如の宮へ入らせたい。
『大毘盧遮那成佛神變加持經・入眞言門住心品』は、諸仏の大秘密、衆生の究極の妙である。如来の自証智は、そのままでは人に示しがたい。外に現れた無尽荘厳は、その働きの跡である。象の足跡を見てその巨体を知り、雷雨と洪水を見て龍の威力を知るように、大日如来が一念のうちに法界の衆生へ応じ、根機に合う仏事をなすことから、如来の智力が群機の始終・因縁を一念に照覧することを知る。
この経は一切如来の根本秘密蔵、自性法身の内証智境である。釈迦如来は菩提樹下で機を照らし、大日如来は秘密宮に住して薬を施す。自受法楽を修行とし、勝義の三昧を浄業とする。無量の字門を大虚空のように含み、百千の三昧を大海のように統べる。文の林には八種総持の花が開き、義の淵には千の瓔珞の珠が浮かぶ。この門に入れば、三大阿僧祇劫を一念の阿字に超え、無量の福智を三密の金剛に具える。六道四生は皆父母であり、微細な生き物にも仏性がある。
願わくは、無垢の眼を開いて三密の源を照らし、煩悩の縛りを解いて五智の台に遊ぶことができるように。内なる心王の国が安らげば、外なる城郭も安泰になる。心王を清め、心所の眷属を安んずる。これがこの経の大意である。
「大毘盧遮那」は、暗を除いて遍く明るくする太陽の別名である。世間の太陽は外を照らしても内に届かず、片側を照らせば反対側に届かず、昼を照らしても夜を照らせない。しかし如来の智慧日光は、内外・方所・昼夜の区別なく一切処を照らす。雲に覆われても太陽そのものが滅びたのではなく、雲が晴れて光が現れても新しく生まれたのではない。同じように、佛心の日は無明と煩悩の雲に覆われても滅びず、実相三昧が顕れても増えない。
「摩訶」には、無辺際の大、刹塵を超える多、最勝最上の勝という三義がある。「成佛」は不生不滅・無始無終の正覚で、因縁によって後から作られたのではない。「佛」は過去・現在・未来のあらゆる法をありのままに知る覚者であり、忍辱の鎧、精進の甲、持戒の馬、禅定の弓、智慧の箭によって、外には魔軍を破り、内には煩悩の賊を滅する。
「神變加持」は、縁が尽きれば姿を隠し、機が熟せば現れるが、始めも終わりも固定できない。「經」は語密を経糸、心密を緯糸、三業を糸として海会の錦を織る。「因陀羅王」は帝釈の最勝性と珠網の相互映入を示す。
「入眞言門住心品」には、梵本上「修真言行品」と「入真言門住心品」という二題がある。真言は mantrā、真実の語、如実で不妄・不異の語である。単に呪と訳すのは十分ではない。衆生の自心こそ一切智智であり、これを如実に知ることが一切智智である。真語を門として、自心に菩提心を起こせば、その心に万行が具わる。心を見れば正覚、心を証すれば涅槃、方便を起こせば仏国土を荘厳する。因から果まで、無所住にして心を住せしめるから「住心」という。この品は三十一品の首なので第一である。
「如是我聞一時」に始まる本文では、薄伽梵は毘盧遮那の本地法身、如来は加持身、その住処は受用身と解される。無相法身と加持身は二つではなく、自在神力によって衆生に身密の色、語密の声、意密の法を示す。「広大金剛法界宮」とは、無辺・不可量で、壊れない実相智を本体とする心王の都である。
この経には、法爾常恒本、十万頌の広本、三千余頌の略本という三本がある。略本も一字に無辺の義、一点に塵数の理を含む。序分は身密・仏部、正宗分は語密・蓮華部、信受の文は意密・金剛部に配される。三密は異なって見えるが、一如平等である。
言灵構造解読
1. 「本宅」は場所ではなく、自心の法界宮
衆生が知らない本宅は、死後に赴く外部の天国ではない。本文は繰り返し、恒沙の眷属が`自心之宮`に住し、衆生の自心が一切智智であると語る。帰路とは、自分の外へ逃れることではなく、迷いによって見失った心王の中心へ帰ることである。
2. 竪と横
竪に見る
= 教え・修行段階の浅深差
横に見る
= どの段階にも同じ一如が貫く
段階差を否定すると修行の順序が失われ、平等性を否定すると本覚が外部化される。空海は両者を同時に保持する。
3. 声字の実相
祈願文の「一一聲字皆實相」は、この開題全体の言灵核心である。声と字は実相を指し示す単なる記号ではなく、正しく発せられ、身体・心・供養・誓願と結ばれたとき、実相の働きそのものになる。ただし真言音写はサンスクリット原形・悉曇字を欠く部分があるため、本資料だけで音価を再構成しない。
4. 内国が安らげば外国が整う
`内心國界安樂`から`外器城郭皆泰然`へ進む。これは心さえ整えば外部問題が自動消滅するという単純な心理主義ではない。内なる判断軸が清まり、心所の眷属が秩序づけられることで、外部の行為・制度・関係も整うという順序である。
5. 真相裁定
第二種の核心は、密教を他の教えの排除として語るのではなく、方便の諸乗を帰路の段階として受け止めたうえで、最後に「帰る家は自心である」と明かす点にある。真言門は、遠くの宝所へ移動する道ではなく、声・字・身体・心を通じて、すでにある心の宝蔵を開く道である。
________________
9. 比較研究
言灵秘書・古事記・カタカムナとの照合はTENMON比較研究であり、空海がそれらを直接解読したという歴史主張ではありません。
10. 未確定事項・反証・HOLD
未検証の悉曇字形・サンスクリット語形・歴史的直接継承を断定しません。
11. 証拠・確度
空海著作原典=A0、天聞作成の訳・整理=A1、TENMON構造解読=E5、比較仮説=E6。
12. 出典・巻・頁・行
第二 衆生狂迷|T58, p.3a05–p.4c15