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大日經開題 七種 第四 大日經開題(大毘盧遮那)|原典・現代語訳・TENMON解読

大日經開題 七種の第4公開単位「第四 大日經開題(大毘盧遮那)」を空海著作原典・現代語訳・TENMON解読に分けて読むページです。

1. 中立的な定義

大日經開題 七種の第4公開単位「第四 大日經開題(大毘盧遮那)」を空海著作原典・現代語訳・TENMON解読に分けて読むページです。

2. 書誌・著者・底本・対象範囲

T58 No.2211, p.1a04–p.12a19/対象:第四 大毘盧遮那|T58, p.6a10–p.7b10

3. 原典

第四 大日經開題(大毘盧遮那)
〔T58, p.6a10–p.7b10〕
大毘盧遮耶成佛神變加持經者。是則一切如來根本祕藏也。自性法身内證智境也。人法獨尊教義離絶。是故佛華法華之牛啼顯關而未入。羊車鹿車之駕疲險路以數退。時歴三大其道懸邈。位盡五位其理彌高。唯有輪王種性乘神通以高臨。遮耶遺體懸圓鏡以遠照。是以大日如來坐法界而照機。住祕宮而投藥。與自性所成眷屬自受法樂故説此三密門。如來奧地更闢癈詮照潤之心地。佛樹王牙始生言亡慮絶之空性。等覺十地怳忽目眩。聲聞辟支希夷望絶。所以樹藏祕密稱名彰乘神通寄喩。自受法樂以爲修行。勝義等持以爲禁戒。自非上上決定之信解空空無著之心智。誰能信難信之法入難入之門。若有善男善女纔入此門。則三大僧祇超一念之阿字。無量福智具三密之金剛。八萬塵勞變爲醍醐。五蘊旃陀忽爲佛惠。開口發聲眞言滅罪。擧手動足印契増福。心之所起妙觀自生。意之所趣等持即成。貪女穢庭忽建如意幢。無明暗室乍懸日月燈。四種魔軍靡旗面縛。六境猾賊率黨入附。心王國土無爲之樂旋踵可期。四種法身恒沙之徳即身自得。與夫捨身命於曠劫修對治於悠途。豈得同日而論歟。故文云。於顯教修行者。經三大劫難行苦行或得或不得。眞言門行菩薩行諸菩薩。無量無數劫所積集修行無量功徳智慧皆悉成就。此經之大意蓋如此乎次釋題目者。所謂大毘盧遮那成佛神變加持經者。若具依梵本摩訶毘盧遮那勃陀悉地修多因陀羅羅若。是則人法具擧法譬圓備。所以者何。若言人則是人也一一字人種字故。言法則悉法也一一字法智印故。言譬則諸名即譬以淺顯深故。一切人中大日最勝故曰諸佛之頂。此佛具四種身。此題中提其綱紀普張諸目。故十佛刹微塵諸尊悉攝此中。所謂大者。人中之大。法中之大。教中之大。義中之大。體中之大。相中之大。用中之大。乘中之大。因中之大。行中之大。果中之大。入中之大。理中之大。智中之大。定中之大。如是具十佛刹塵數大。此大則絶待常住不二之大。不是相待無常之大。以遍照爲譬寄帝網顯喩。蓋在此耶次釋經本差別。後釋三分。一歸敬者一切經首有二字是。者有二義。一顯句義。二密句義。初顯者又二。一歸命稽首義也。二頂體歸依義也。初歸命稽首亦分二。歸命與稽首義不一故。初歸命者印度震旦各有多説。對法章疏分釋紛紜。且置常談。今就宗義釋者。一切經首如是二字上皆有兩字。翻譯家略而不置。今准梵本令有此字。問何故必置此二字。誰人所置。答有三意。一者金剛薩埵歸命敬佛與法故。二者大日尊歸命表諸佛必有師故。佛説諸眞言首有歸命句及唵字句亦同此義。三者此法智印法爾故有此歸命。諸佛如來不能加一字故。又有三義。三密之中各具無量眷屬互相歸渉相持不斷絶故。復次歸表隨順命顯不斷。心佛衆生本性和同如空與光。無始無終無有斷滅。佛法智印必詮此義。所以最初二字總攝而説。復次命名無量壽佛。歸則能依人也。無量壽者。法身常恒不壞之徳是也。身遍虚空法界。心亘性相理事。此身此心何處不有。誰生誰物逃出不攝。故名歸命。次稽首義者。又且置顯義。言密義者稽至也首頂也如來三密能至不二本法之底。證五智最上之頂。故曰稽首。二密句義。所謂字有二義。相與義不一故。相者若見字即知一切法但有名色是也。若知如是名色性相不可得即名字義。又三種世間十界理事凡聖依正皆不出名色。淺智之人但知假名假色。不曾解實相實號。如來能知諸法之祕密名相。還與衆生如實開授。此名此色能含萬象。所以端首有此字門。字且有相義二釋。相者若見字時即知一切法有吾我義是也。若入大迅疾衆峯般若婆羅蜜門。則悟一切法我所執不可得。若修此三摩地則除人法二我所執亦諸憍慢。得菩提涅槃。是名字義。如來説法先令離二我執令證無我大我。故次字名色門標此字大我門者。有二釋。一合釋二離釋。合釋中又二。初顯次密。顯句中諸宗多義。佛地四種智度信順及唐國諸徳所談並如常釋。此非自宗所要且略之。顯句云如是我聞也。謂如是者指事與理之言也。此亦二。一指上二字理事。次指此一部祕密印。問何人如是指語。答有三釋。初之詞也。次親之指言也 三爾有無人増減。者金剛薩埵釋云。離傳聞出工言。我金剛薩埵親從大日尊聞也。復次廣眼尊親指自證境表如實智。説言如是我見聞覺知。此則如來爲達者以一句總説諸法。上地人一字一句中悉能解諸法盡也。此則如來表師徳故作如是説。師有二種。一法二人。諸佛以法爲師自然而覺。自然而覺即自證之境界也。復次諸佛如來必因師而覺。不然者諸佛闕大悲之徳衆生無所尊之境。雖有本有佛性必待佛驚覺乃能悟之。五大立喩意亦在此。故文云故佛所宣説者是其證也。二離釋者。所謂者經云。即諸佛性涅槃義也。又起所求義。又一切法求不可得義。解云。初表三密本原法爾圓寂。次明發菩提心。後顯本無今得。者一切諸法不二之道語言斷義。又人普遍生安住般若波羅蜜門悟一切法無障礙義。又如來世尊爲諸衆生雨最上乘大法雨義。所謂一切契經及世間呪術經書是也。初二自行後一利他。如來説法必爲此二行。雖教過八萬行超刹塵。原始要終不過二行。四種法寶四種法身只在此一字中

4. 検索用正規化本文

原典表記を検索可能な文字列として保持する。意味を変える自動置換は行わない。

5. 訓読・語法・異体字

異体字・旧字体・歴史的仮名遣いを原典欄に保存し、校異が未確定の箇所は断定しない。

6. 現代語訳

第四 大毘盧遮那|T58, p.6a10–p.7b10
帰命・稽首・如是我聞・字門を、相互帰入と正本伝承の構造として解く稿。

## 原典
開始:`大毘盧遮耶成佛神變加持經者。`
終端:`四種法寶四種法身只在此一字中`
## 真相現代語訳
『大日経』は一切如来の根本秘密蔵であり、自性法身の内証智境である。三密門へ入れば、長劫の末に外から仏を得るのではなく、声・印・観想によって本具の福智と覚りを現す。
経題の十七字には、教と義、法と譬喩、人と法、境と智、体と用、因と果という六対が重なっている。「大」は物理的な大きさではなく、体・相・用・因・果・教・義・境・業が互いに妨げない絶待の大である。
「帰命」は一方的服従ではない。三密と眷属が互いに帰入し、相持して断絶しないことをいう。「帰」は方向を揃え、「命」は生命線を断たない。「稽首」は三密が不二本法の底へ至り、五智最上の頂を証することを表す。「如是我聞」は出所不明の伝聞ではなく、誰が、誰から、何を受け取ったかを示すprovenanceである。
## 言灵構造解読
“`plain text
帰=方向を揃える
命=生命と伝承を断たない
稽=底へ至る
首=最上の頂を証する
如是我聞=受領経路を明示する
“`
無我は自己消滅ではなく、人我・法我への執着をほどき、法界に遍く大我へ開く工程である。
## HOLD
経首の悉曇字は電子本文で欠落している。名色・我・不可得・自利利他という釈義の連鎖は確定できるが、各字母対応は影印照合まで保留する。

7. 文献・教学上の文脈

空海著作の作品内構造と密教教学上の文脈を優先し、後代注釈やTENMON比較を空海本人の文へ混入させません。

8. TENMON言灵構造解読

第四 大日經開題(大毘盧遮那)
〔T58, p.6a10–p.7b10〕
真相現代語訳

『大毘盧遮那成佛神變加持經』は、一切如来の根本秘密蔵であり、自性法身が自ら証した智慧の境界である。人も法も独尊で、教えと義は他の言説を超える。華厳・法華でさえ顕教の関門までは来るが、この奥へはまだ入らず、羊車・鹿車の乗り手は険路に疲れ何度も退く。三大阿僧祇劫を経ても道は遠く、五位を尽くしても理はなお高い。転輪王の種性を持つ者だけが神通に乗って高く臨み、大日の遺体ともいうべき法身が円鏡を懸けて遠く照らす。

大日如来は法界に坐して機を照らし、秘密宮に住して薬を施し、自性から成る眷属と自受法楽を共にするために三密門を説く。これは如来の奥地を開き、通常の説明が尽きたところに新たな心地を開く。言語と思慮が絶えた空性に、仏樹王の芽が初めて生ずる。等覚・十地も目眩し、声聞・縁覚には望みが絶えるほどの秘密である。

それゆえ「秘密蔵」と名づけ、神通の乗り物を比喩とする。自受法楽を修行とし、勝義の三昧を戒とする。最上の決定信解と、空にも執着しない心智がなければ、信じがたい法を信じ、入りがたい門へ入れない。しかし善男善女がこの門へ入れば、三大僧祇劫を一念の阿字に超え、無量の福智を三密の金剛に具える。八万の煩悩は醍醐となり、五蘊の旃陀羅は仏智慧へ転ずる。口を開いて真言を発すれば罪を滅し、手足を動かして印契を結べば福を増し、心が起これば妙観が生じ、意が向かえば三昧が成る。欲染の庭にも如意幢が立ち、無明の暗室にも日月の灯が懸かる。魔軍は旗を伏せ、六境の賊も従う。心王の国に無為の楽を得、四種法身の無数の徳をこの身に得る。

顕教で長劫にわたり身命を捨て、対治を修める道と、同じ日に論ずることはできない。顕教の修行は三大劫の難行苦行を経ても得る場合と得ない場合があるが、真言門の菩薩は、諸菩薩が無量劫に積んだ功徳智慧を成就する。これが経の大意である。

次に題名を解く。梵名を具さにいえば「摩訶毘盧遮那・仏陀・悉地・修多羅・因陀羅・羅惹」に相当し、人と法を共に掲げ、法と譬喩を円満に具える。一字一字が人の種字であり、一字一字が法の智印であり、名称そのものが浅いものから深いものを示す譬喩となる。大日は一切の人の中で最勝なので「諸仏の頂」といわれ、四種身を具える。この題は綱紀を掲げて全体を包み、十仏刹微塵数の諸尊をすべて収める。

「大」には、人・法・教・義・体・相・用・乗・因・行・果・入・理・智・定など、仏刹微塵数の大がある。この大は相対的で無常な大ではなく、絶待・常住・不二の大である。遍照と帝釈網を譬喩として、その無辺を示す。

続いて経本の差別と三分を説き、その前に「帰敬」を解く。すべての経首には、本来、帰命・稽首に当たる二字があるが、翻訳家が省略したとする。なぜ置くのか。第一に金剛薩埵が仏と法に帰命するため、第二に大日尊自身が帰命して諸仏にも師があることを示すため、第三にこの法智印そのものが法爾として帰命の構造を持つためである。諸仏も一字を加えられない。

三密には無量の眷属があり、互いに帰入し、持ち合って断絶しない。「帰」は随順、「命」は不断を表し、心・仏・衆生の本性は虚空と光のように和同し、無始無終で断滅がない。また「命」は無量寿仏、すなわち法身の常恒不壊の徳を表し、「帰」はそこに依る人を表す。法身は虚空法界に遍く、心は性相・理事にわたるので、そこから外れる人や物はない。

「稽首」は、顕義だけでなく密義では「稽=至る」「首=頂」であり、如来の三密が不二本法の底に至り、五智最上の頂を証することを表す。

次に、経首の字門には字相と字義がある。提示本文では、該当する悉曇字が欠落しているため字そのものは特定しない。第一の字は、字相として一切法が名と色として現れることを示し、字義として名色の性相が不可得であることを示す。三種世間・十界・理事・凡聖・依正は名色を出ないが、浅い智慧は仮名仮色しか知らず、如来は諸法の秘密名相を知り、衆生に開示する。名と色は万象を含むので経首に置かれる。

次の字は、字相として「我」を表し、字義として我所執の不可得を示す。この三摩地を修すれば、人我・法我の二執と慢心を除き、菩提・涅槃を得る。如来はまず二我執を離れさせ、無我を通して大我を証させる。

「如是我聞」の顕義では、「如是」は事と理を指し、この一部の秘密印を指す。だれが「如是」と言うのかについて、金剛薩埵が大日尊から親しく聞いたとする釈、如来が自証境を指して「このように私は見聞覚知した」とする釈などがある。一字一句に諸法を尽くすのは、上位の修行者に対して如来が師徳を示すためである。

師には法と人がある。諸仏は法を師として自然に覚るが、また人としての師によって驚き覚まされる。もし師が不要なら、諸仏の大悲と、衆生が尊ぶ対象が欠ける。本有の佛性があっても、仏の驚覚を待って悟る。

離釈では、欠落した字門について、諸仏性・涅槃、求める心、求不可得、三密本原の円寂、発菩提心、本無今得、不二の道と言語断、般若波羅蜜の無障礙、如来が最上乗の法雨を降らすことなどが説かれる。初めの二つは自利、後の一つは利他であり、八万を超える教と塵数を超える行も、究極には自利・利他の二行を出ない。四種法宝・四種法身も一字に収まる。
言灵構造解読

1. 「帰命」は従属ではなく相互帰入

帰命は、外部の権威へ自己を消すことではない。三密とその眷属が互いに帰入し、相持して断絶しない構造である。`帰`は方向を揃え、`命`は生命線を断たない。

2. 無我から大我へ

小我を否定して虚無になるのではなく、人我・法我の執着をほどくことで、法界に遍く大我へ開かれる。ここでの大我は個人 ego の肥大ではなく、すべてを排除せず含む大自在である。

3. 「如是我聞」は伝聞の封印解除

「私はこう聞いた」は、二次情報の弱さではなく、誰が・どこから・何を受け取ったかを明示する provenance である。金剛薩埵が大日尊から直接聞いたという構造は、真言の声と字を出所不明の呪文にしない。

4. 欠落字母のHOLD

本文の悉曇字が欠けているため、字門を推定補充してはならない。確定できるのは、名色、我、不可得、自利・利他などの釈義の連鎖であり、具体的な字母対応は影印照合までHOLDである。
________________

9. 比較研究

言灵秘書・古事記・カタカムナとの照合はTENMON比較研究であり、空海がそれらを直接解読したという歴史主張ではありません。

10. 未確定事項・反証・HOLD

未検証の悉曇字形・サンスクリット語形・歴史的直接継承を断定しません。

11. 証拠・確度

空海著作原典=A0、天聞作成の訳・整理=A1、TENMON構造解読=E5、比較仮説=E6。

12. 出典・巻・頁・行

第四 大毘盧遮那|T58, p.6a10–p.7b10

13. 関連項目

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