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「モ」の言灵とは|一言法則・意味・水火構造|天聞解読事典

言灵50音・一言法則原文と現代解説を分離

「モ」の言灵を、『言灵秘書』の一言法則と五十連上の位置から読みます。列挙語を一つの固定的意味へ縮約しません。

マ行・第5位

原文・一言法則

モ・・・火中の水の靈也。潤水也、舫(もやう)也、塊也、亦(また)也、者也、累(かさなる)也、与也。

出典:『言灵秘書』「五十行一言法則」(音別本文 P505)

水火分類

火中の水の靈。これは文献内の分類名であり、現代科学の分類ではありません。

主要語

潤水也、舫(もやう)也、塊也、亦(また)也、者也、累(かさなる)也、与也

構造的な読み方

原文に列挙された語は、この音が資料内の複数の関係で働く範囲を示します。所属行の「躰」と一音の「用」を分け、語順・前後音・呼吸を含む文脈へ戻して確認します。

証拠と確度

  • 原文引用:資料本文の文字転記
  • 水火・位置:資料本文/公開構造案内
  • 現代説明:天聞解読による解説
  • カタカムナ・古事記・密教:直接根拠未登録のため関係を生成しない

関連

言灵事典言灵秘書五十音一覧一言法則水火分類

隣接音

言霊秘書本文|モ(MA行)

五十連位置
モ(MA行)
水火分類
火中の水灵
出典頁
P505
宣言法則数
7

原文

此モの一音に、七つの法則あり。始に、

㊀潤水也。

此行は、惣て火中の水故に、残らす潤水也。ウルホフ水のことは、ヌの音の所にて解か如し。火中に交る水は、清らかならす。必潤ふ也。余の四音、推て知るへし。

㊁舫也。

モヤヒ、モヤフと用きて、もの塊ること。ヤは、文なること。アヤに塊ると云語にして、タ行の火と與み塊ること。火中の水の、モの音故に、モヤウ也とあり。惣て、一行の中にも、最下の一音は、上の四音を束ねて、殊に重き故に、此マ行は惣て、タ行の火と與み舫ふ一行なれとも、舫の法則は、此モの一音に在と知へし。故に、一を十をに與みたるを、トと云。十を十を與たるを、百(モモ)と云。是、タ行のくみて、モになる故に、火中の水灵のモの音に舫也と有。

㊂塊也。

カタマル。カは搦むこと。タは灵をなすこと。搦みて、円かに、玉なると云語也。夫を堨ると云。是、舫の義と同し。然れと、少しく差別あり。舫は、文に與むこと。堨るは、文(かざ)なりして、強く與むこと。舫は與むことの軽く、堨るは與むことの重きと知へし。しかれとも、火中に水與むと云。法則は、同しきと知ベし。

㊃亦也。

マはまろかること。タは玉のこと。玉まろかるを、亦といふ。木の股とも、枝と枝と付、まろかれたるをマ夕と云。今、モの音は、亦也とある。後選集の哥に、「是やこの行も還るも」、と有。此モは、亦の義にして、行人も、還人も亦、と云語也。知れる人も、又しらさる人も行逢と云哥にて、知るも知らぬも逢坂の関、とよみつつけし哥也。此一首に、四つのモの辞あり。是モは、皆亦をす。足のモモを股と云も、左右の足舫処なれは、モモの名をなす。是、右も左も一処に舫也。行人も、還る人も、知る人も、知不人も、と别るもの四つ有。夫を、一処にまろかれ舫はせて、逢坂の関と與舫せて、詠したると知へし。

㊄者也。

モは舫こと。ノは○也。則、舫て一つにまろかる語也。此者と云語をつかうときは、必先に其躰を挙て、下にモノとある也。和漢ともに、此義一つ也。ツカヘノモノと云は、初に使(ツカヘ)と云躰を挙て、夫に舫ふの人の故に、者と云。かしこき者と云も、又しかり。智者 学者同義也。其ことがらに舫ふ人とのことを、者と云。舫へき躰の無きときには、人と云ても、モノとは云す。是者ハとは、物に舫の義有か故に、モの音、者也とある。

㊅累也。

力サ子夕ル。此モの音は、上に解く如く、物に舫ひ堨るの音の故に、力サヌルと有。

㊆與也。

是、舫の音の故に、與むこと解をまたす。さてここに心得のあるは、累ルと云は、高ク昇るの義。クムと云は、水火の二つ相交の義也。しかれとも、高く昇り累るは、則クムの義有故に、くむ也と有。是、一義になる。此マ行は、丸きを宰りて、空躰なれは、此一行は夕行の火くむ故に、火中の水灵となりて、形を顕せとも、○丸にして空躰と知るへし。是には口訣あり。月は、元と光りなし。日の光り月に入て、月光りをなすの伝へ、此一行に有と知へし。次に、夕行のいきの回る、メの灵起る。

現代日本語訳

「舫(もやう)」とは、

「モヤヒ」「モヤフ」とも言い、

ものが寄り集まり、ひとつに塊(かた)まることを意味する。

「ヤ」は「文(あや)」の意であり、

すなわち「アヤ(模様・構造)」のように秩序をもって結ばれることをいう。

したがって「モヤフ」とは、

「タ行の火(=発動・陽の力)」と結び合い、

その火の中に\*\*水(=受容・陰の灵)\*\*が溶け込んで、

ものがまとまり、調和していくことを指す。

「モ」という音は、

火の中に宿る水の灵を表す音であるゆえに、

これを「モヤウ(舫う)」というのである。

一つの行(例:マ行・タ行など五十音の各行)において、

最後の一音(五番目の音、例:マ行なら“モ”)は、

上の四音(マ・ミ・ム・メ)をすべて束ね、

その働きを統合する役割を持つ。

ゆえに、このマ行全体は、

「タ行(火の行)」と結び合い、

全体として「火と水が舫(もや)う=結び合う」性質を持つが、

その中でも特に、舫(むすび・結合)の法則は、

この最後の音「モ」に宿っていることを知るべきである。

例えば、

「一(ひとつ)」が「十(とお)」に結び加わるとき、

その結びの音を「ト(十)」という。

さらに「十」と「十」とが与え結ばれると、

それを「百(モモ)」という。

この「モモ」という言葉こそ、

「タ行(火)」の力と結び合って「モ」となり、

その中に火と水の灵が融合している証である。

したがって、

火の中の水の灵(ひのなかのみたま)の響きであり、これこそが「舫(もやい)」、すなわち天地の結び・陰陽の和合を司る音なのである。

## 【解説】

この一節は、

五十音のうち「マ行」――特に「モ」という音の霊的性質を説明している。

– 「マ行」=円(まる)・水・和・受容の性質

– 「タ行」=火・発動・陽の性質

– 「モ」=両者が結び合って生じる“火中の水”の霊

すなわち、「モ」は火と水が一体化した状態を表す音である。

また、各行の第五音(例:ア行の「ヲ」、カ行の「コ」、サ行の「ソ」など)は、

その行の働きを統合する要の音であり、

「モ」はマ行全体の結び(舫い)の象徴となる。

## 【要約】

> 「モヤフ」とは、

火と水が和し、あらゆるものが秩序をもって結び集まること。

「モ」という音は、火中の水の霊であり、

陰陽の結合を司る「舫(もやい)」の響きである。

五十音の中で「モ」は、

すべてを束ね、調和させる「結びの法則」を体現する音である。

## 【一句で言えば】

> モは火中の水なり。陽と陰、発と和、すべてを結び束ねる舫(もやい)の音なり。

「カタマル」の意味を以下のように要約できます:

基本的な構成:

「カ」は搦む(からむ)こと

「タ」は灵をなすこと

これらが組み合わさって円く玉のようになることを表します

「舫」との違い:

舫(もやい):文に與む(くむ)という軽い結びつき⁠⁠

堨(カタマル):文なりして強く與むという重い結びつき⁠⁠

共通点:

どちらも火中に水が與む(くむ)という基本的な法則は同じです⁠⁠

㊃「亦」である。

「マ」とは“まろかる”(丸くなる、円くまとまる)ことであり、「タ」とは“玉”のことである。

玉が丸くなることを「亦(また)」という。

木の股や、枝と枝とが付き合って丸くなった部分を「マタ(股)」という。

今、「モ」という音は「亦」であるとされている。

『後撰集』の歌に「これやこの行くも帰るも」とあるが、この「モ」は「亦」の意味であり、

「行く人も、帰る人も亦」という言葉である。

また「知っている人も、知らない人も行き逢う」という歌があり、

「知るも知らぬも逢坂の関」と詠んだ歌である。

この一首には四つの「モ」の辞があるが、これらはいずれも「亦」の意味である。

足の「モモ(股)」を「股」というのも、左右の足が繋がり合うところであるから「モモ」と名づけられる。

つまり右の足も左の足も、一処に繋がり合っているのである。

「行く人も、帰る人も、知る人も、知らぬ人も」と、四つの別れたものを、

ひとつ所に丸く収めて繋ぎ合わせ、「逢坂の関」に出会わせて詠んだ歌であると知るべきである。

『者』とは、ある「物事に結びつく人」を指す言葉です。この「者」という語は、特定の物事や役割(例:使者、智者、学者)に関わる人を表し、その対象に舫(つながって)いるという意味が込められています。

「與」とは、二つの要素が互いに結びつき、調和して高みへと昇っていくことを意味します。ここでは、火と水が交わり、形を持たない存在が形を現す過程を表しています。太陽の光が月に反映され、月が光を放つように、異なる要素が結びつき、共鳴して新たな価値や光を生み出すことを示しています。

TENMON解釈

この節では、言灵秘書の原文と現代語訳を分けて提示します。構造上の解釈は、この音が属する五十連位置と水火分類の関係として読み、原文を越える語源的断定は行いません。

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