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「ナ」の言灵とは|一言法則・意味・水火構造|天聞解読事典

言灵50音・一言法則原文と現代解説を分離

「ナ」の言灵を、『言灵秘書』の一言法則と五十連上の位置から読みます。列挙語を一つの固定的意味へ縮約しません。

ナ行・第1位

原文・一言法則

ナ・・・火水の靈也。和也、女也、流也、下知也、正中の靈也、凝也、双也、頭也、無也、生也、鳴也、汝也、過去、現在、未来にわたる靈也、納也。

出典:『言灵秘書』「五十行一言法則」

水火分類

火水の靈。これは文献内の分類名であり、現代科学の分類ではありません。

主要語

和也、女也、流也、下知也、正中の靈也、凝也、双也、頭也、無也、生也、鳴也、汝也、過去、現在、未来にわたる靈也、納也

構造的な読み方

原文に列挙された語は、この音が資料内の複数の関係で働く範囲を示します。所属行の「躰」と一音の「用」を分け、語順・前後音・呼吸を含む文脈へ戻して確認します。

証拠と確度

  • 原文引用:資料本文の文字転記
  • 水火・位置:資料本文/公開構造案内
  • 現代説明:天聞解読による解説
  • カタカムナ・古事記・密教:直接根拠未登録のため関係を生成しない

関連

言灵事典言灵秘書五十音一覧一言法則水火分類

隣接音

言霊秘書本文|ナ(NA行)

五十連位置
ナ(NA行)
水火分類
火水の灵
出典頁
P443
宣言法則数
15

原文

此ナの音に、十五の法則あり。

㊀和也。上の子ヌの二音は、火水の舫ひなれとも、胎内の義にして、未た見へさる処也。故に、黑也。暗也。水火の根也とあり。今、此ナの音は、火水と形顕れて、竟に與むの音にして、時に合すれは、昼の七つ時也。九つ時の火と、八つ時の水と、七つ時に與みたる也。又、一年に合すれは、七月六日時分迄に火盛んになり、夫より翌朝頃より秋氣催して、水昇りて水火與む。それは、彼の火水合なり。即、男女の契りに設るも、此謂れなり。今、音の形を見るへし。火水の和したる形なり。七つと云も、即いきの和(やはら)きにて、水火の並ふを云。

㊁女也。ヲミナのヲは男のこと。ミは正中のこと。ナは並ふこと。ヲトコの火の、正中に並ふと云ことにて、ヲミナと云。ナの形は、火に水の與む形にして、ナを女とあるなり。

㊂流也。ナカル。ナは並ふこと。カは搦こと。ルは濁水の灵にして、降ること。心は、ならひ、搦み、下ることにして、水の切れすに、與み搦みて行こと。又日。ナカルと云語は、水に斗付と云語に非。和き搦む物は、皆流れさるはなし。火の中に水和らく故に、モ工昇る。即、是も流る也。又、水中に火和する故に、動て降る。是も流也。流義など云も、流れは、元祖の教へ嫡々相続て切れす、搦み連ねて解ことを、流るると云。水のみに限る語に非。今、ナは和らき搦むこと故に、ナ音に流るる也と有。

㊃下知也。上に解如く、下知は上より下(しも)ヘ下(くだ)す語にして、至て重き語也。故に、ケセテ子へメレの七言、ヨモロの三言、是等は中にありて、重くして地を宰る音の故に、下知をなす。今、此ナの音は、和らき並ひ、與み凝の音にして、年に合すれは七月、今日に合すれは七つ時にして、天に在乍(ありながら)地を呼ひて與むのとき也。故に、重くして下知をなす。しかれとも、ヨモ口の三言の下知よりは、自ら軽しと知可(しるべし)。此一行の中にも、中言の子ヌニの三言は、下知をなさす。上のナの音と、下のノの音と、此二言下知をなす。しかれとも、ナの音は軽くして、みやひやかにして、貴人の詞になる。しかるを、鄙(いなか)に住める俗、ここにノ、かしこにノと、ノ一言にて下知をなす故に、詞拙(ことばつた)なし。故に、今此五十連の法則にも、ノの音にて、下知の法則なし。ナの音にのみ、下知をすの法則あり。是、天にありて、能地を呼のナの音にして、火水和らきの用きあるの音なる故に、ヨモ口等の下知よりは、天に位するか故に、下知の心軽き也と知へし。

㊄正中の灵也。上に解如く、ナは火水の灵なり。物の和くときは、正中をなす。和がさるときは、正中をなさず。偏(かたよ)りて、過不及を。今、此一行は、出る息の正中を宰る一行也。其中にも、此ナの一音は、其法則を深く含む故に、別して正中の灵也とある。其ナの形を見ても、過不及なき正中の灵なること知るへし。

㊅凝也。火水の和くの音なる故に、凝たるとは、解をまたす。

㊆雙也(火と水と並ぶ)。是亦、解をまたす知へし。

㊇頭也。カシラのことを、何そナと云や。カシラとは、息の昇る所。いきの昇る限りは、是和き凝の極る処也。上に解如く、ナの音は天に位して、息の和する音の故に、カシラは天に位して、息の凝極る所ゆへに、ナの音に頭也とある。ウナヒ、ウナシ、と云如し。

㊈無也。ナキ、ナクと用きて、ナは火。水は時有て、形顕して目に見ゆれとも、和の理は氣にして見へす。たとへは、土偶人の如し。土の凝なれとも、土凝て人の形となるは見ゆれとも、其凝は氣にして見へす。今、水火の和したる形、本来火水の氣の和(やはらぎ)は見へす。本来、火水の凝の理は見へす。今、此ナの音は、火水の和らく形を云には非。火水の氣の和くをナと云。則、無の義にして、氣の双ふこと。其氣の並ふは、氣有て形なし。目に見えさることの音のゆへに、惣て目に見えす、形顕れぬをナキと云。即、ナ也。しかれとも、見えさる氣も、並ふ理も、是は無にして有なり。如(モ)し、其理を尽すときは、重々無尽にして不可解。何れ、有とも、なしとも定め難し。しかれとも、今は和くの理ありて、其形無くして、見えさるの一反より、ナの音に無也とある。

㊉生(ナル)也。ナルとは、火水の和らき凝るか、即生るなり。穂の生る、実の生と云も、陰陽の循環して、火水の和らく故に、生る也。火水和かれは、実ならす。故に、火水の和くナの音に、生る也と有。

⑪鳴也。ナクとは、おのか息と、天地の息と能和らく故に、声をなす。其れを、鳴と云。語は、ナは和くこと。クは與むこと。ロちを開きて、己か息斗(ばか)りにては声をなさす。おのか息と、天地の息と、和らき並ひ與むより、声を出す。是を、鳴と云。此ナの音は、火水のいきの和らき與の音故に、鳴也とある。

⑫汝也。語を解かは、ナは並ふこと。ンは音響也。チはス一のこと。われと一つ並と云こころ故に、汝と云。其汝を、ナと云は略語に非。ナンチ、則ナ也。万葉の哥に、「しかの声を聞て秋の哀れをいやますと云になか鳴声に秋はかなしき」、とあり。汝をナと云。是、ナの音にス一に和らきならふと云ナの音の故に、汝也とある。

⑬柔也。ナコキの語は、ナは並ふこと。コは凝こと。他に並ひて凝こと。即、和くこと也。他に並はぬ時は、和らくことなし。辺土の夷(えび)すは火に並す、己斗(おのればか)りに凝故に、かたくな也。都会の人は、善き人と並ひ凝故に、優長にしてかたくなに非。火斗り凝るときは、あつくして手に取れす。水のみこれは、氷りとなりて、用をなさず。水火和らきくむときは、暖温にして、不寒不熱なり。水と火と和らき與むときは、氷り和らき、本の水となりゆく。是を、柔きと云。今、ナの音は、火水の和らくの音の故に、柔也とある。

⑭過去、現在、未来にわたる灵なり。先に述る如く、ナは和らき凝並ふの音の故に、一度ひ和らきこるものは、必す三世にわたりて離るることなし。去年結ひし実は、今年又花咲実のる。千代万代、此如にして、たゆることなし。故に、過去にして善に習ひ和らくものは、必現在善にならひ和らき睦むの故に、未来又しか也。悪に習和らき睦むも、亦後しか也。其過現未は、遠くは三世、近くは今日にあり。今日人を害せは、今日又人に害せらる。明日又、此如。善悪目果、和らき並ひ凝と云は、三世を離れさること味ふへし。ちなみに、南無を、梵和の灵合を以解かは、ナ(南)は和らき並ふこと。無は能睦むこと。一度ひ仏と和らき、並ひこり睦む者は、過去に並ひて凝り睦み、竟に仏果を得る也。是れ、ナは三世わたるの灵故に、此理(ことはり)自然の梵和の灵合なり。天地の道理、三世を尽すの教への故に、仏家にのみ有には非。和国の神道、自然の奥儀、全く神仏同躰にして、更に其法り違ことなし。但、寬絞深浅迷悟の目果、其差別あるのみ。しかれは、迷中の三世因果をとく漢土の儒教は、現世一生のならひ、和らくことを教て、過未の因果を解かす。神仏とは、其則遙に遠し。我朝に、本師垂迹を伺ことの規鑑なり。稲荷の古伝に、此理ありと知へし。(是儒教をしらさる文盲暗愚甚敷ものなり)

故に、今ナの音に、三世にわたる灵也とあると知へし。

⑮納也。イルルの語は、イは息のこと。ルは濁水の灵にして、降ること。息凝り、潜まり、降ることを、イルルと云。袋にイルルと云も、広かりたる物を凝し、昇りたる物を降し、袋の中へ潜めイルルことを、先の二の音に付て云如く、二の音は時に合すれは、明六つ時。此ナの音を時に合すれは、七つ時。明六つに天地の文分れ、昼夜の息明かに分る。昼七時に、其明かに分れたる息の、又和らきこり始める。これ、明六つ時は出始め、七つ時は入始めの故に、今ナ音に納る也と有。偖、濁行のラリルレロと起りて、引息の搦みて降る最初に、ラの灵起る。

現代日本語訳

すると:

「和」(なごみ)の概念は、火と水の調和を表します。

初めは目に見えない状態(胎内)で存在し、暗闇や根源を象徴します⁠1⁠。

「ナ」の音は、火と水が形となって現れ、互いに調和する状態を表します⁠1⁠。

時間の概念では、昼の「七つ時」(午後4時頃)に火と水が調和します⁠1⁠。

季節では、7月6日頃までに火(夏)が盛んになり、その後水(秋)が昇って調和します⁠1⁠。

この調和の概念は、自然界の現象だけでなく、男女の結びつきにも適用されます⁠1⁠。

つまり、「和」は火と水(陽と陰)の調和を表し、それが時間、季節、人間関係など様々な面で現れることを示しています。

「流(ナカル)」とは、水と火のエネルギーが結びつき、絶えず続く動きや変化を表す言葉です。「ナ」は並び結びつくこと、「カ」は絡み合うこと、「ル」は水が降りていくことを意味します。水が絶え間なく流れ、火と調和しながら動き続ける様子を指しています。また、「流」は単に水だけでなく、伝統や知識が絶えず受け継がれていくことも含む広い意味を持ちます。

㊃ 下知(げち)である。

先に解いたように、「下知」とは、上から下(しも)へ下(くだ)す言葉のことであり、きわめて重い言葉である。

そのため「ケ・セ・テ・子・ヘ・メ・レ」の七音や、「ヨ・モ・ロ」の三音は、いずれも中にあって重く、地をつかさどる音であるから「下知」をなす。

今、この「ナ」の音は、やわらぎ、並び、与え合い、凝り合う音である。

年に当てはめれば七月、日に当てはめれば七つ時にあたり、天にありながら地を呼び寄せて与える時である。

そのため、「ナ」の音は重くして「下知」となる。

しかしながら、「ヨ・モ・ロ」の三音の「下知」に比べれば、自ずと軽いことを知るべきである。

この一行の中にあっても、中音の「子・ヌ・ニ」の三音は「下知」をなさない。

上の「ナ」の音と下の「ノ」の音、この二音だけが「下知」をなす。

ただし、「ナ」の音は軽やかで優美であり、貴人の言葉となる。

ところが、田舎に住む俗人は「あそこにノ、ここにノ」と「ノ」一音で下知をするので、言葉が拙くなる。

ゆえに、この五十連の法則にも、「ノ」の音には下知の法則はなく、「ナ」の音にのみ下知の法則がある。

これは、「ナ」の音が天にあって地を呼ぶ力を持ち、火と水が和らぎ合う作用を持つ音であるためである。

そのため「ヨ・モ・ロ」などの下知に比べれば、天に位するがゆえに「下知」の心は軽やかであると知るべきである。

は以下の通りです:

「ナ」という音は火と水の灵的な性質を持ち、正中(バランスの取れた中心)を表す

物事が調和しているときは正中の状態となり、調和が失われると偏りが生じる

この一行(文脈)は呼吸における正中を司るものである

特に「ナ」という音は、この法則を深く内包しているため、正中の灵とされる

「ナ」の形状自体からも、過不足のない正中の性質を見て取ることができる

「凝」(こる)の概念は以下のように説明されます:

– 火と水が調和する音を表す

– 火と水が混ざり合って固まる状態を指す

– この概念は自明であり、さらなる説明を必要としない

この解釈は、自然界の基本要素である火と水の相互作用を通じて、物質の凝固や形成過程を説明しようとする古代の思想を反映しています。

㊈ 無である。

「ナ」は「ナキ」「ナク」と用いられ、「ナ」は火を表す。

水は時に応じて形を顕し、目に見えることがあるが、その和(やわらぎ)の理は氣であって、目には見えない。

たとえば、土偶の人形のようなものである。土が凝り固まることは目に見えるが、土が凝って人の形となるその凝りの理は、氣であって、目には見えない。

今、水火が和した形は、本来、火水の氣の和(やわらぎ)であり、それ自体は目に見えない。

本来、火水が凝り固まる理もまた目に見えない。

したがって、この「ナ」の音は、火水が和らいだ形そのものをいうのではなく、火水の「氣の和らぎ」を「ナ」という。

ゆえに「無」の義であり、すなわち氣の調和を指す。

その氣の並びは、氣があっても形はなく、目には見えない。

このため、目に見えず形が顕れないものを「ナキ」という。すなわち「ナ」である。

しかし、見えない氣であっても、その並びの理は存在する。

これは「無」であるが、同時に「有」でもある。

もしその理を極め尽くそうとすれば、重々無尽であり、理解しがたい。

有とも無とも定め難いのである。

けれども今は、「和らぐ理はあるが、その形はなく、目には見えない」という一側面から、「ナ」の音を「無」とするのである。

『鳴』とは、自分の息と天地の息が調和して響き合い、声を生み出すことです。

「汝(なんじ)」とは、相手を「あなた」や「君」と呼ぶ言葉で、親しみや近しさを示すものです。語源的には、「私と並び、一つの存在として感じる」という意味が込められています。

この文章の要約は以下の通りです:

「ナコキ」という言葉は、「並ぶ」と「凝る」が組み合わさった概念を表す

他のものと調和して凝ることが「和らぐ」ということ

例として:辺境の人々は他と調和せず独りよがりなため頑なになる都会の人々は良い人々と調和するため柔軟である

火と水の比喩:火だけでは熱すぎて扱えない水だけでは凍って使えない火水が調和すると適度な温かさになる

「ナ」の音は火水の調和を表すため、「柔」を意味する

過去・現在・未来にわたる灵である。

先に述べたように、「ナ」は和らぎ、凝り並ぶ音であるため、一度和らぎ凝るものは、必ず三世(過去・現在・未来)にわたって離れることはない。

去年結ばれた実は、今年も花を咲かせ実を結ぶ。千年、万年経っても、この理(ことわり)は変わることなく、絶えることもない。

ゆえに、過去において善を学び和らいだ者は、必ず現在においても善に習い、和らぎ睦む。したがって、未来もまた同じである。

逆に、悪に習い和らぎ睦んだ者も、また未来において同じ結果をもたらす。

過去・現在・未来は、遠くは三世にわたり、近くは今日にある。

今日、人を害すれば、今日また人に害される。

明日もまた同じように巡る。

善悪の結果(目果)は、和らぎ、並び、凝ることによって決定され、三世の因果から逃れることはできないことを理解すべきである。

ちなみに、「南無(ナム)」を梵和の灵合(れいごう)として解釈すると、「ナ(南)」は和らぎ並ぶこと、「無」は能く睦むことを意味する。

一度仏と和らぎ、並び、凝り睦む者は、過去においても並び凝り睦み、最終的に仏果(悟り)を得ることができる。

これは、「ナ」が三世を超えて作用する霊(灵)であるためであり、この理(ことわり)は、自然の梵和の灵合(れいごう)である。

### 仏教と神道の一致

天地の道理を説き、三世を尽くす教えであるため、これは仏教の教えに限られたものではない。

和国(日本)の神道の奥義も、全く神仏が一体であり、両者の法が異なるということはない。

ただし、悟りの深浅、迷いと悟りの境界によって、目に見える形の違いが生じるのみである。

しかし、中国の儒教においては、迷いの中での三世因果を説くことはなく、現世一生の教えとして、和らぎのみを説いている。

そのため、過去・未来の因果関係については説かれない。

神仏とは、その法則の本質が遥かに異なるものである。

我が国においては、「本師垂迹(ほんしすいじゃく)」を伺うことが、学ぶべき道標となる。

この理(ことわり)は、稲荷の古伝にも示されていると知るべきである。

(※これは、儒教の教えを知らず、盲目的に信じる者には理解が難しいことである。)

### 結論

ゆえに、「ナ」の音が三世にわたる霊(灵)を宿していることを理解しなければならない。

「納(いる)」とは、物事が内側に入り、収まっていくことを指します。息が凝り、潜って降りるように、広がっていたものが一箇所に収まり、静かに収まっていく様子を表しています。この「納」という概念は、外から内に入り、調和することを意味します。

TENMON解釈

この節では、言灵秘書の原文と現代語訳を分けて提示します。構造上の解釈は、この音が属する五十連位置と水火分類の関係として読み、原文を越える語源的断定は行いません。

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