TENMON JITEN

「シ」の言灵とは|一言法則・意味・水火構造|天聞解読事典

言灵50音・一言法則原文と現代解説を分離

「シ」の言灵を、『言灵秘書』の一言法則と五十連上の位置から読みます。列挙語を一つの固定的意味へ縮約しません。

サ行・第2位

原文・一言法則

シ・・・昇る水の靈也。始也、終也、死也、己也、幸也、司也、育也、石也、出水也、印也、進也、繁也、為限(しきる)也。

出典:『言灵秘書』「五十行一言法則」(音別本文 P479)

水火分類

昇る水の靈。これは文献内の分類名であり、現代科学の分類ではありません。

主要語

始也、終也、死也、己也、幸也、司也、育也、石也、出水也、印也、進也、繁也、為限(しきる)也

構造的な読み方

原文に列挙された語は、この音が資料内の複数の関係で働く範囲を示します。所属行の「躰」と一音の「用」を分け、語順・前後音・呼吸を含む文脈へ戻して確認します。

証拠と確度

  • 原文引用:資料本文の文字転記
  • 水火・位置:資料本文/公開構造案内
  • 現代説明:天聞解読による解説
  • カタカムナ・古事記・密教:直接根拠未登録のため関係を生成しない

関連

言灵事典言灵秘書五十音一覧一言法則水火分類

隣接音

言霊秘書本文|シ(SA行)

五十連位置
シ(SA行)
水火分類
昇水の灵
出典頁
P479
宣言法則数
13

原文

此シの一音に、十三の法則有。先、

始也。

此シの音は、昇水の灵にして、万物の初めを宰る。先に解か如く、動く物は水にして、動かしむる物は火なり。火の為に水動されて、始めて形を現して昇る。故に、今昇水の灵のシの音に始也と有。これ私の解にあらす。古事記神代の卷の神秘なり。二た柱の神、みとのまくはいの条に、女神先あやにやしえ男をと、男神に先達て 勅(ノリゴチ)玉ふ。是、女神は水にして、水始めをなすの法則を知らせ玉ふ神秘なり。故に、日本紀神代の卷には、其法則に違はすして、女男分たすと、女の水先挙て、男の火を後に出して有。漢書にも、陽陰とはなし。陰陽と有。是、自然の法則也。故に、をみなは十三才にして其血氣定り、男は十五才にして全く血氣ととなふ。是、女の水は、男の火より先達と知るへし。故に、往古(いにし)へは、婚姻を結ふにも、先女の家へ男行て契りをなし、而後に男の家へ女をともなふ。是を、よばひと云。

今、其礼儀残りて、女より先き酒をくみ始て、次に男に献するも、此法則の違はさると知るへし。草木の芽を生して延ひ行も、水気先達故也。ヨハヨハシイ。解の如く延すは、水にしてこらすは、火也。人も生れて弱々しきは、水の先達か故に、水氣増りて時々剋々に生長する。俗に是を、水子と云。此如、万物の始めは皆水也。故に、昇水の灵のシの音に、始め也と有。しかし爱に心得の有は、形をなす始めは、今の解の如く水也。しかれとも、形なき所に形なさしむるは火也。是より云はば、火を始めとも云へし。しかれとも、なさしむる物は形なし。なすは形有。なす形よりいへは、水は始めなり。渾沌と形别らさる時は、何れを水とも、火とも、別ち難し。しかし、天地と別るる中に、先天先に成りて、地後になる。天は空水にして、此ときは水。地は濁りて、此ときは火。其空水のあめは、つちより先になる。此水は、火より先達つと知るへし。夫を教ゆるか、神代の巻の神秘故、古事記には女神先刺玉(まづノリゴチたま)ふと有。日本紀には、女男と列ねて有。天地万物は、水先達つことを教ゆるの神秘ゆゑに、今昇水の灵のシの音に始也と有。

㊁終也。

此シの一音に、始メと終ルと有は何そや。是、千早振神代の学にして、更に凡慮の斗る処に非。唯、自然の理を以て解くへし。先に解く如く、形をなす物は水にして、形なさしむる物は火也。形の始は、水氣勝て、火氣盛んならす。故に、惣て春の若草の如く弱し。竟に、大氣盛るきは、又其形も亦盛なり。是、夏草の如く茂る。又、其火氣衰ふれは、形も亦衰へて、秋の草木の如く散崩る。即ち、元の水氣に帰る。是、盛なるは火、衰ふるは水。小児の力の柔弱なるは、火氣小きか故に、常に冷るも、全く老て火氣衰へて寒(さむき)か如く、老児同しことなり。是、水より起りて、水に帰る。日月はむば玉の暗より出て、同しく闇(くら)きに入。朝に露をなして、又夕部につゆをなす。是、初めも終りも皆水なり。始に離れて終なし。始終同一なることを知るへし。神代の巻に、始めにひるこを生みて、葦の葉の舟に入て流す。是、始めに終りを備ふるの神秘なり。次に、伊井冊(いざなみ)の火水神去在して後に、天照大神を生み王ふは、母なくして生れ玉ふ。是、初めに終りを備ふるの神秘なり。母は死して後生るるは、始に終りを備ふる神秘なり。始終同一の王法の教、王宮に有ても、初春に六朝より七日まては、神事あり。八日より十四日まては、仏事経営し玉ふは、始終同一の王法の法則なり。是、神代の神秘あるか故に、稲荷の古伝、天地自然の音を以教ゆ。古事記神代の卷の法則に違はさる、王法の規矩(きく)となるへき本元なる故に、ホの一音に起るのオと、終るのヲと備へ、ホより起てホに反る。始めに離れて、終りなし。終りに離れて、始めなし。今日の始は、昨日の終り。今日の終りは、翌日の始め。実に、始めに終りを備へ、終りに始めを備るの法則。是、皇国神代の法則。天地自然の規矩を現するか故に、今シの音に始也、終也と有。

㊂死也。

死すれは水を宰る故に、天子の御尊骸(ごそんがい)の在す所を、ミササキと云。水にサキ、サクと云詞なり。水に幸ひをなすより、付しもの也。紫震殿の御階は、カササキノ橋と云。息にては、火に幸ひをなす御名にして、今力行は火を宰る。此サ行は、水を宰る。左右前後をなす水火のいき、天照太神、月夜見の命と生れ玉ふ法則は、ここより出る。是、シの音は、昇水の灵にして、終りの義なるか故に、死也と有也。

㊃己也。

オノレとは、オは起ること。ノは○ワ也。レは助言。一つにまろかれたること故に、誰と云ときは、タは多きこと也。何れ共、定めて指語に非。居へ、からみて云語也。今、己と云ときは、独りを指こと故に、漢語にも一己なとと云て、人に構はす。我ひとりと僻執するを、一己と云。神代巻の、オノコロジマと云も、オノレトコルと云語にして、一粒の籾の形をなせしことなり。是、オノレと起り、まろかれたることにして起り、円れるは是形をなす始也。故に、今昇水の灵の始めをなすの音故に、オノレ也有。此如、一音始也終也 死也 己也と。生も死も始めも終りも、皆同一に、水より水に入の理りと知へし。

偖、漢字にも、始死生至止、皆同し称へにして、灵合をなす。ここに、己れと云レは助言にして、顕れ隐るる故に、レを省てオノと云。又、省かすして、オノレと云。鄙言に、オレと云。此ときは、レは省け、オの一音を以て義をなす、オの字と見るへし。

㊄幸也。

サキの反シにして、即サキ也。サキは、本語サイハイなり。約めてサキと云。幸(サイハイ)と云サは、割別こと。イは、イキはイの反ヒにして、ヒは天を回る日也。天の息を回り開いて、万物を割別け、生せしむるを幸いと云。惣て、一百千に及ふを、幸いと云。一より多きに及ふと云。父母のいきより割別るの義より、成す語はなり。ワサハイとは、ワとは○也。天より割分れしいきを、天に逆ふて、いきを割分ずして、一つにまろがれるをワサハイと云。一粒を万倍になさざるを、ワサハイと云。幸い成不と云。一百千を損して、唯一つにておほすの語也。故に、漢文にも不幸三つあり。後無きを大也とす。顕云不幸の幸は孝也文盲の甚しきこと笑可。

いきを子孫に割分けざる程の災は無し。故に、百千の物を、只一つに及ぼすを、ワサハイと云。又、一より百千をなすを、幸いと云。今、サキと有は、サキ、サクとあるをつつめし語也。一を百千に割分くるの語にして、是幸いの語同義也。夫に、力ササキ。カは暉火灵にして、火にさきさきて、幸いをなすと云語也。日出れは光り暉き、天地万物の差別を分て、照して、幸いをすると云語也。故に、八隅知之と有て、大君の四海を治(シロシメス)德を崇(あがめ)てと云こと。又、紫震殿(ししんでん)の御階(みはし)を、力ササキノハシと云。天皇の在す所。在乍(さりながら)、朝日の出るか如くなる故に、力ササキと云。漢語にも、是を朝廷と云。或は、朝臣(あそん)と云。光德万民に及ひて、幸いならすと云ことなし。故に、天子の御坐(ぎょざ)を、漢には朝と云。又、御幸と云。幸の字を仮字にするも、此心なり。天皇行玉ふ処は、闇夜にても燎火(りょうか)を挑(いど)けし如し。是を、御幸(ごこう)と云。此如、一十百千に割分れて、物に及ぼすを、サキと云。シの音は、昇水の灵にして、初めソセスと水中に火與みて、火の為に水今動き、進み昇りて、正しく割分らんとする音の故、幸也と有。是シは、割分れんとする始め也。サは正く割分れのとき也と知ル当ニ。

顕云サイハイとはサは割分こと、イは息のこと、ハは発こと。心は今近苦しみし息をサキワケ又息を発くを云此如して始解す。

㊅司也。

ツカサとは、ツは続こと。カは昇こと。サは割分こと。上に居て、事を割分るを、司ると云也。今、シは昇水灵にして、進み昇り、割分んとする故に、司ると有。実は、司サの語は、ツツキ力サヌを約たる語也。心は同し。ツツの反ツ。キは、キキ、キクと用て省く。カサヌは、両(フ)のヌにして、つかさと云心になる也。昇水灵は、ツカサなることと知るへし。

上のカの音は、暉く火にして、昇ることなれとも、かかやくと迄はいはるれとも、昇るとは云はす。たかき也とあれとも、司とはなし。是、火は物を凝し、水は物を育つ母の義にして、物を育つるの義よりは、物を凝すの義は重くして、これ左りは右より重し。是は、伊弉諾の尊は左の眼をそそき玉ふ、月読の命と顕る。月夜見命より勝れて、天照太神は天地の司サにならせらるる。故に、左大臣、左大将、左少弁等は、命令を宰の官にして、右大臣、右大将、右少弁より重し。今、此五十言のカ(左)行は、火を司りて、左に在て高し。サ行は右に在りて、水を宰る。天地自然の法則、王法、全く此五十連に有こと知へし。臣よりも左右と云、君よりも左右と云。是、王法の伝へなり。

㊆育也。

ソタツとは、ソは揃ふこと。タは大なること。ツは続くこと。離れぬやうに延し、太らすことを、育と云。今、シは昇水の灵にして、水は能物を育つる用きあり。火は物を損する物なり。草木の花を火の中へ入るれは、忽(たちま)ちにしほむ。水に止むるときは、永く育つ。父の火、能息の本はなせとも、育つは母の水にあり。第一義、是也。故に、今は水灵のシ音のゆへに、育つなりとある。しかも、同し水なれとも、濁水なれは、火か交るゆへに能は育たたず。ラリルレロのツは延れにて、草木の花を止ること能はす。これ、何を以の故に。水火二凝が故也。今、昇る水は清き水也。清き水にあらされは、能育つること能はす。

故に、子の無き女は、皆濁水にして、天道に背く也。又、生れ出れとも、育る母の清(きよま)る、濁るに依て、子に善悪あり。実に、育つるは大事也。たとへは、濁水に住む魚、清水に住む魚の如し。能々謹可(つつしむべし)こと也。今、シの音は昇水の灵にして、濁れるは降り、すめるは昇る音の故に、育つ也とあり。

㊇石也。

イシとは、イは息のこと。シは印のこと。イキのシルシと云語也。故に、天地の息凝処には、必石あり。天地のいき開けたる所には、石少し。山林及ひ幽谷海底は、いき凝たる処ゆへ、石多し。高原陸地等は、天地いき開く処のゆへに、石少し。いき凝りたるシルシ現るる。是を、石と云。

人の歯、是石なり。故に、いき盛んなるときは、歯も亦盛んなり。いき衰るときは、歯も亦おとろふる也。火水のいき凝りて、火は形を隠し、水は形を現して、昇るのシルシなり。故に、シの音に石也とある。惣て、石ある山には水多し。水出る所には、必石多し。故に、シの音に石也と有。

㊈出水也。

是、昇水の灵の故に、出る水なることを知るへし。

㊉印也。シルシ、シルスと活用て、昇水の灵なれは、水明に住む形を現して、朧ろにあらす。故に、形を現して、其躰明になるを印と云。忝(かたじけなく)も、三種の神器の其中に、印しの御灵と云も、明に国の印しなることにして、印しの御灵と云。宝剣は主上の御灵。神鏡は后宮の御灵。印しの御灵は太子の御灵なり。主上、后宮いきを結ひ玉ひて、其いき御印しと云ことを、御灵と称し奉る。総て、十種の神に宝有中に、御灵と称する物四つ。これを(神紙伯白川公の御伝)、

一には印しの御灵、二つには宇賀の御灵、三には生灵、四つには布斗麻邇の御灵。此如の御灵は、皆いきを知るの神宝らなり。しかれは、シルシとは、形現れ明に定ることを云。是、形無きいき凝りて、水は明に形を現して、昇る音の故に、印し也と有。

⑪進也。

ススミ、ススムと用て、ススの反スにして、これスは澄昇ること。今、シは昇水の灵にして、進み昇る音の故に、進む也とある。

⑫繁也。

シケリ、シケルと活用きて、シは進むこと。ケは細に差別をなす音にして、本は一粒の籾なれとも、進んては枝葉花実と細かに分つを、茂ると云。今、形無き水の形ちを現して、進み昇り、其進み昇る昇水に、神灵宿りては、月夜見の尊となりて、四海を照す。たとへは、灵備はらすとも、水河海に溢れ、天を回りて、万物を育つ。皆是、形現るるの昇水の用き也。是を、茂ると云。故に、シの音に繁也と有。

⑬為限也。

シキリ、シキルと活用て、シは印のこと。キは根のこと。形なきの水灵は、本来寂然として為限(しきり)なし。形なす昇水は、火限有。故に、空水は形無故に、かぎりをなさす。鳥は形無き空水をかける故に、水切なけれは、又無礙なり。形現すの水は、水限なす故に、物に障へられて、舟に乗らされは渡られす。形現はすの水のゆゑ也。有所あり、無き所あり。古今集恋の部に、「流れては妹背の川の中に落る吉野の川のよしやよの中、と読たる如きは、水は水切をなして、物を隔る。故に、吉野の川を、妹背の中をへたてしことに設しなり。」

故に、シキルと云は、襖屏風に至るまても、水の流るる如くにする。是を、シキリと云。俗に、水際を立ると云。形現すの水は、必しきり有。必かきりをなす。今、シの音は昇水の灵にして、形現はすの水故に、今シキリなりと有。形現す物は、神か自在の日月すら、雲霧に覆はるる。况(いは)んや、余の物に於ておや。形無き本来の水火には、去るも無く、来るもなく、生もなく、滅もなく、只自然たるのみ。既に、上の力行は形現するの火なるが故に、火切也と有。今、此サ行は、形現すの水なる故に、水切也と有。次に、弥(いよいよ)割别昇るの、サの灵起る。

現代日本語訳

㊂ 始也(はじめなり)

「シ」という音は、昇る水の灵であり、万物の初めを司るものである。

すでに解いたように、動くものは水であり、それを動かすものは火である。

水は火のために動かされ、初めて形を現して昇る。

ゆえに、この昇水の灵である「シ」の音に「始」という意味がある。

これは私の勝手な解釈ではなく、古事記・神代の巻に記された神秘である。

二柱の神が「みとのまぐわい」を行う条において、女神が先に「アナニヤシエヲトコヲ」と言葉をかけ、男神に先立って勅(のりごち)を賜る。

これは、女神が水であり、水が始まりを担うという法則を知らせている神秘である。

だからこそ日本書紀・神代の巻にも、その法則に違わず、女と男が並んで記され、女の水が先に挙げられ、男の火が後に記されている。

漢書にも「陽陰」とは書かず、「陰陽」と記されている。これが自然の法則なのである。

ゆえに、人もまた女は十三歳で血氣が定まり、男は十五歳でようやく血氣が整う。

これは女(水)の方が男(火)よりも先に成熟することを示しているのである。

だから往古(いにしえ)には、婚姻を結ぶにも、まず男が女の家へ行って契りを交わし、その後に女が男の家へ共に行った。これを「よばい」と言う。

いまもなおその礼儀は残っていて、宴においては女が先に酒を酌み始め、次に男に献じる。これもまた、この法則に違わぬことを示している。

草木の芽が出て伸びていくのも、水氣が先に働くからである。

「ヨハヨハシイ(弱々しい)」という言葉の通り、生まれたばかりの人が弱々しいのは、水が先に働くためである。

水氣が増して時を重ねるごとに人は成長する。これを俗に「水子」とも言う。

このように、万物の始めはすべて水である。

だから昇水の灵である「シ」の音に「始め」がある。

ただし、ここで心得ておくべきことは、形をなす始まりは水であるが、形なきところに形をなさしめるのは火であるという点である。

この観点からいえば、火を「始め」とも言える。

しかし「なさしめるもの」は形がなく、「なすもの」は形を持つ。

ゆえに「形をなす」という側からいえば、水が「始め」である。

渾沌として形が分かれていない時は、水と火を分けることは難しい。

しかし天地が分かれる中で、天は先に成り、地は後に成る。

天は空の水であり、この時は「水」である。

地は濁っており、この時は「火」である。

この空の水、すなわち雨は、土よりも先に存在する。

ゆえに水は火に先立つのだと知るべきである。

このことを教えているのが神代の巻の神秘であり、

古事記には女神が先に言葉を発したと記され、日本書紀には「女男」と並べて記されている。

天地万物は、水が先に立つことを教える神秘であるからこそ、

いま昇水の灵である「シ」の音に「始」があるのである。

### ㊁ 終也(おわりなり)

「シ」という一つの音に、「始まり」と「終わり」の両方の意味があるのはなぜか。

これは千早振る神代の学であり、決して凡俗の浅い考えで理解できるものではない。

ただ、自然の理をもって解くべきである。

すでに述べたように、形をつくるものは水であり、形をなさしめるものは火である。

形の始まりは、水の氣が勝っていて火の氣がまだ盛んではない。

そのため、すべて春の若草のように弱々しい。

やがて大氣が盛んになる時、その形もまた盛んになる。

それは夏草のように繁茂する姿である。

さらに、火の氣が衰えれば、形もまた衰え、秋の草木のように散り崩れていく。

そしてついには、元の水の氣に帰るのである。

すなわち、盛んになるのは火であり、衰えるのは水である。

小児の力が柔弱であるのは、火の氣が小さいためで、常に冷える。

そして老いれば火の氣が衰えて寒さを感じるようになる。

幼子と老人は同じである。

つまり、すべては水から起こり、水に帰るのである。

日月は、むば玉の闇から出でて、また闇に入る。

朝に露を結び、夕べにまた露となる。

これもすべて、始めも終わりも水である。

「始め」と「終わり」は分かれて存在するものではなく、始と終は一つであると知るべきである。

神代の巻には、最初に蛭子(ひるこ)を生み、それを葦の葉の舟に入れて流すとある。

これは「始めに終わりを備える」という神秘を示している。

また、イザナミが火の神を生んで命を失った後に、天照大神が生まれ給う。

これは「母を失ってから子が生まれる」ということであり、「始めに終わりを備える」神秘である。

母が死んだ後に子が生まれる、これも「始めと終わりが一体」であることを教えている。

この「始と終が同一である」という王法の教えは、王宮においても残されており、

正月には初春に六朝の神事が七日まで行われ、八日から十四日までは仏事が営まれる。

これも「始と終が同じ一つである」王法の法則を表している。

これは神代の神秘があるがゆえに、稲荷の古伝でも天地自然の音をもって教えられている。

古事記・神代の巻に記された法則に違わず、王法の基準となる根本なのである。

ゆえに「ホ」という一音には、始まりを表す「オ」と、終わりを表す「ヲ」とが備わっている。

ホから始まり、ホに帰るのである。

「始め」と「終わり」は切り離されるものではない。

終わりは始まりに続き、始まりは終わりに続く。

今日の始まりは、昨日の終わりである。

今日の終わりは、明日の始まりである。

実に、始めに終わりを備え、終わりに始めを備えるという法則、

これこそが皇国神代の法則であり、天地自然の規律を表すものである。

ゆえに「シ」の音には「始」と「終」の両方があるのである。

「オノレ」(己)の構成: 「オ」は起こること「ノ」は丸い形(○ワ)「レ」は助言(補助的な言葉)

「己」の特徴: 一つにまろがれた(丸くなった)状態を表します独りを指す言葉として使われます漢語の「一己」のように、他人に構わず自分一人を表す場合にも使われます

「オノコロジマ」(神代巻)は「オノレトコル」という語から来ており、一粒の籾のような形を表しています

この概念では、生死や始終は全て水から水へ入る理として理解されています。また、「レ」は省略されて「オノ」となったり、俗語で「オレ」となったりすることがあります。

「司(つかさ)」とは、物事を上から見て管理し、割り分けることを意味します。「ツカサ」という言葉の構成は、「ツ」が続くこと、「カ」が昇ること、「サ」が割り分けることを表しています。司る役割には、物事を昇りながら管理し、細かく分けていく働きが含まれます。

さらに、五十音の「カ」の行が火を象徴し、「サ」の行が水を象徴するように、司る役割も天地の法則や秩序に基づいています。火は物を凝縮し、水は物を育む性質を持っているため、物事の管理にはバランスが必要とされています。このように「司る」とは、昇りながら物事を管理し、左右の調和を図ることが求められる役割です。

「ツカサ」という言葉の意味を説明しています。

– ツカサ(司)とは、「ツ」は続けること、「カ」は昇ること、「サ」は分けることを意味します。このため、「司る(つかさどる)」とは、上に立って物事を整理して分ける役割を担うことを指します。

– 「ツカサ」の語源については、「ツツキ力サヌ」という言葉を縮めたものだと述べています。「ツツ」は何かを続ける意味で、「キ」は耳を傾けること、「カサヌ」は両方の意味を合わせたものです。このように、「ツカサ」とは昇って割り振るという意味を持つ言葉だとしています。

また、ここでは「カ(昇る)」と「サ(分ける)」の音に込められた意味も説明されています。

– カの音は、昇る力(火)を持っていて、高みにあることを示しますが、「カ」は「昇る」だけでなく「司る」という役割も担っています。この「カ」の力は物を固める「火の力」として重く、天照大神(あまてらすおおみかみ)が高く尊ばれることにつながっています。そのため、「左大臣」や「左少弁」など「左」に関する役職は、命令を管理する重要な役割とされ、「右」よりも重んじられます。

– \*サ行(サの音)\*\*は、水の力を持ち、物を育む力を示しています。このように、カ行が火、サ行が水を象徴しており、天と地の自然の法則や王の秩序に基づいて、左右に分けられると考えられています。

結論として、「ツカサ」は昇り、続け、分けるという意味を持つと共に、天地の秩序や王法を象徴する概念だとされています。

(育:そだつ)

「そだつ」という言葉は、

ソは「そろう」こと、

タは「大きくなる」こと、

ツは「続く」ことを表している。

つまり「離れずにのび広がり、豊かに太ること」を“育つ”という。

いま、「シ」という音は「昇る水の灵(みたま)」を意味し、

水にはあらゆるものを育てる働きがある。

これに対して火は、ものを損なう作用を持つ。

たとえば、草木の花を火に入れれば、すぐにしおれてしまう。

しかし、水に保たれれば、いつまでも生き生きと育つ。

父なる火は、息(いき)を生む本(もと)であるが、

「育つ」ことの本義は、母なる水にある。

これが第一の真理である。

したがって、「シ」という音が水の灵を示すがゆえに、

「育つ」という言葉はここに由来する。

しかし、同じ水でも「濁った水」では育たない。

それは火が交じってしまうためである。

「ラリルレロ」の音にある「ル」は“延びる”意であるが、

そこに火水(かすい)の調和がなければ、

草木の花を保つことはできない。

なぜか。――それは「水火二凝(すいかにぎ)」、

すなわち水と火が互いに凝り合う(交わる)ためである。

昇る水は清き水である。

清らかでなければ、ものを育むことはできない。

ゆえに、子を授からぬ女は、皆「濁水」であり、

天の道に背いているといえる。

また、子が生まれたとしても、

その母の水が清いか濁っているかによって、

その子の善悪が決まる。

まことに「育てる」ということは、重大な務めである。

たとえば、濁水に棲む魚と、清水に棲む魚の違いを思えばよい。

これをよくよく慎むべきである。

「シ」という音は「昇る水の灵」を表す。

濁った水は沈み、澄んだ水は昇る。

この昇る働きこそが、「育つ」という理(ことわり)である。

「石」(いし)の概念について要約します:

語源と意味:

「イ」(息)と「シ」(印)から成り、「イキのシルシ」(息の印)という意味です⁠⁠

特徴と分布:

・天地の息(気)が凝り固まった場所に多く存在します・山、谷、海底など気が凝りやすい場所に多く、平地など気が開けた場所には少ないです⁠⁠

人体との関係:

歯は石の一種とされ、気が盛んな時は歯も強く、気が衰えると歯も弱くなります⁠⁠

本質:

火と水の気が凝って生まれ、火は形を隠し水が形を現す象徴です特に水の多い場所には石も多く存在するとされています⁠⁠

「印」(しるし)とは、以下のような意味を持つ概念です:

形を現して、その体が明らかになることを指します⁠2⁠

昇水の霊(のぼりみずのれい)の性質を持ち、水が明らかに形を現すことを表します⁠2⁠

三種の神器の一つとして、「印しの御霊」と呼ばれ、国の印としての意味を持ちます⁠2⁠

魂(たましい)の概念においては、「シ」(印)は霊的なエネルギーが刻まれたものを意味します⁠3⁠

特に神道や古代日本の思想においては、「印」は単なる物理的な印や目印以上の意味を持ち、霊的な力や国家の象徴としての重要性を示す概念として扱われています。

「シケリ」「シケル」という言葉の活用から、まず「シ」は「進む」ことを意味し、「ケ」は細かく分かれることを表す音です。もともと一粒の種(籾)であっても、成長することで枝葉や花、実へと細かく分かれていき、これを「茂る」と言います。

今、この形のない水が具体的な形を現し、上へ進んでいく過程に神灵が宿ることで、月夜見尊(つくよみのみこと)となり、四方の海を照らす存在になります。このように、神灵が水に宿ることで、川や海にあふれ、天を巡って万物を育てます。これはすべて、形の現れた水が昇り、成長していく働きです。これを「茂る」と言います。そのため、「シ」という音には「繁栄」という意味があるのです。

「為限」(しきり)は、物事に境界や区切りを設けることを意味します。

形のない水の霊は本来限りがありませんが、形を持つ水には限界があります。

空中の水(水蒸気など)は形がないため制限がなく、鳥はそれを自由に飛べます。

形のある水(川や海など)は物理的な制限があり、障害物によって流れが妨げられます。

「シキリ」という言葉は、水の流れのように物事を区切ることを表します。

形あるものはすべて制限を受けますが、本来の形のない水火(エネルギー)には制限がありません。

「カ行」は形ある火を、「サ行」は形ある水を表し、どちらも区切りや制限を持つとされています。

この解釈は、日本の古語や伝統的な思想における「限界」や「区切り」の概念を、自然現象と言葉の音の関係から説明しています。

TENMON解釈

この節では、言灵秘書の原文と現代語訳を分けて提示します。構造上の解釈は、この音が属する五十連位置と水火分類の関係として読み、原文を越える語源的断定は行いません。

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