TENMON JITEN
イロハ口伝とは|原典・現代語訳|天聞解読事典
原典|言灵秘書 正典系統
イロハ口伝
原典抜粋
イロハ文章は、高野大師の撰述にして、今皇国に生をうける人、たとへ百巻の書はそらんずといへども、是イ口ハ文を知不ば、あたかも眼のなきに似たり。故に、今上(か)みは皇(すめら)きの都を初め、辺土の野民、山賤(やまがつ)に至まで、手習ふ初とす。世にもてはやさるること、秋の月の隅なきに似たり。然に、是文大師の撰述なること、何の証拠ありやと云に、出雲国神門郡神門寺に、大師の真跡のイロハあり。是は、イロハ御製作の時の筆にして、この寺の重宝也。時住持も、一代に一度ならでは封を開きて拝見せぬ也。別に、尊円親王のうつしも一通添てあり。庭前にイ口ハ石と名付て、石も有と諦忍記十二丁右にあり。一昨年、雲州の朋友にたづねたれば、神門寺にたしかに有由を申せし也。然ば、大師の真作ること明らか也。諦認記に、其真跡のうつしをあげてあり。其うつしが、翁の水穂伝に出ける筆跡に違不、よく似たり。翁の挙られたイロハの形は、水戸公の宝蔵におさまりしをうつせしとものがたりせられたり。彼是合せて見るに、たがはざること、みな大師の真跡なること明也。然ども、神門寺の真跡には京の字がなくて、ヒフミヨイムナヤコトの数が挙てあり、水戸公におさまりし真跡には京の字ありて、ヒフミヨ等の数がなし。現代語訳イロハ文章は、高野大師(弘法大使)が書いたもので、今の日本に生まれた人たちが、たとえ多くの書物を持っていたとしても、このイロハの文章を知らなければ、まるで目がないようなものだ。だから、天皇は京都からはじめて、国の果ての人々や山の中の貧しい人たちまで、これを初めて学ぶものとしている。この文章が人々に愛されていることは、まるで欠けることのない秋の月のようだ。しかし、この文章が本当に大師が書いたものであるという証拠は何かというと、出雲国の神門寺に、大師の実際に書いたイロハの跡がある。それはイロハを書いたときの筆で、この寺の宝物である。その寺の住職も、一代に一度しか封を切って見ることはしない。さらに、尊円親王の手による模写も一緒に保管されている。寺の前の庭には「イロハ石」と名付けられた石があり、そのことは「諦忍記」という記録にも記されている。一昨年、出雲の友人に尋ねたところ、確かに神門寺(かんどじ)にそれがあると言われた。だから、大師が実際に書いたことは明らかである。「諦認記」(ていにんき)にも、その実際の筆跡の模写が掲載されており、その筆跡が「水穂伝」という書に出てくる筆跡と違わない、非常に似ている。その「水穂伝」に出てくるイロハの形は、水戸藩の宝物として保管されているものを模写したと言われている。これらを見比べると、間違いなく大師の真筆であることが確認できる。しかし、神門寺の真筆には「京」という字がなく、「ヒフミヨイムナヤコト」という部分が含まれている。一方、水戸藩の保管している真筆には「京」という字があり、「ヒフミヨ」など
現代語訳
いろは四十七音を、音・語・生成・生命の関係から順に注解する。
この現代語訳は原典の語句を置き換えるものではなく、章全体の読み筋を示す公開用の構造要約です。個々の語義は上の原典転写と各詳細項目で確認してください。
証拠・確度
- 原典層と現代語訳層を分離
- 歴史的仮名・異体字を推定で正規化しない
- 天聞式の比較解読は原典そのものとして扱わない